デビュー時に「ボクのファンはいない」と思っていた大野
また「縛られない自由」への渇望を歌ってカリスマになった尾崎豊は、カリスマとしての立場やイメージに縛られ、自由を失った。芸能界で大成功するというのは、そういうことでもあるのだ。
大野がたとえ引退したとしても、世間やメディアは放っておかないだろう。つまり「自由な生活」はできないし、自らがつくった嵐での人気やイメージに「縛られ」続けることになる。
さらにいえば、芸能界には独特の快感がある。特に彼は、5人の中で最も知名度がないところから出発して、肩を並べるまでになった。
デビュー時に「ボクのファンはいない、って思ってた」と言うほどの劣等感を天性の才能とストイックな努力によって克服し、歓声を浴びるに至った快感は想像を絶するものだ。これから別の道に転じても、それを超える快感はなかなかもたらされないだろう。
世間やメディアが放っておかないだけでなく、彼にとっても、自ら進んで芸能との縁を切ることは難しいのではないか。
なお、嵐の活動終了について、その原因をつくった大野の責任を問う声は少ない。ザ・ビートルズの解散でジョン・レノンが叩かれたようなことにはなっていないわけだ。
これは大野の立場や気持ちに共感する人が多いからだろう。誰もが自由に、縛られずに生きたいが、それは不可能なこと。やりたいことと向いていることのズレも、誰にだってある。いや、自分がどう生きたいかすらよくわからず生きているのが人間だ。
国民的グループとしての活動が終わっても、大野智の人間的葛藤は終わらない。
ほうせん・かおる アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。著書に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)。


















