被害者だった弟は自死を選んだ
弟も父親からの性的虐待の被害に遭っていた。
「弟は、私が虐待されている現場を見せられました。それに、弟は殴られながら、口腔性交や肛門性交をさせられたりもして。そのため、私は弟を家から逃したことがありました。『父の手が届かないところへ』と思ったんです」
そのときの弟の表情を覚えている。
「涙を流したり嫌な顔をするわけでもなく、表情がなかったんです。感情を持たないようにしている。いくら笑顔を見せていても、どの写真もそうだけど、目が死んでいるんですよね」
塚原さんは弟と2人で家出をした。場所は近所にあった墓地だった。
「ここだったら見つからないよね。2人でずっと暮らそうね」
それは暴力的な父親からの避難だった。逃避行ができると思っていた。
「小学生の、幼い2人が考えるばかなことです。そんな近所のお墓で見つからないなんてこと、あるわけないのに。それでも、父親から逃げられるような感覚で、お墓に段ボールを持っていきました。そのとき、お墓にあったおはぎを盗んじゃったんですよ。お供えされていたものを弟と2人で、その段ボールの中で食べちゃったんです。結果的に暗くなる前に父親に見つかってしまい、数時間で家に連れ戻されちゃったんです」
この家出は、弟にとって幸せな時間でもあり、段ボールは父親から邪魔されない空間だった。楽しい思い出でもあり、苦い記憶でもあった。弟はどうしても父親から逃れたかった。そのため、罪を犯す。
「ある日、裸で立たされていた弟は、近所の洗濯物を盗んで逃げたんですが、窃盗で捕まりました。父から逃げられるなら鑑別所でもよかったんだと思います」
そんな弟は29歳のときに自殺した。亡くなる数日前にも自殺未遂をしていた。
「一度、自殺未遂をして、その後、母の家に滞在していたんです。そのときに、『気をつけてね』って母に言っておいたのに、『大丈夫、大丈夫。今、お風呂に入っている』と、悠長なことを言っていて、『この人は何もわかっていない』と思ったんです」
弟が亡くなったのは、瀬戸大橋の近く。特に縁もゆかりもない場所だった。
「そのとき、妹から電話がありました。『落ち着いて聞いてね』と言われ、そのときの記憶が飛んでしまっています。自殺するようなつらいことが続いて、何をしても、忘れることができなかったのでしょう。父のことで苦しんでいたことは知っています。これでやっと楽になるのかなと思ったりもしました」


















