長兄はマラリアに、次兄は抑留された
終戦後まもなく、毒蝮さん親子は東京に戻り、知り合いから土地を借りて浅草・竜泉に居を構えた。
「親父が掘っ立て小屋を建てたんだよ。周りにも似たような小屋が次々に建ち始めてた。なんとか新しい生活を始めてしばらくしたある日、戦闘帽をかぶったいちばん上の兄貴が中国から帰ってきた。そのときのうれしさといったらなかったな」
しかし、復員した長兄はその後マラリアに長く苦しめられた。さらに次兄はソ連(現在のロシア)に抑留されていることがわかり、帰国までに5年かかった。
「厳しい強制労働で、200人の仲間のうち100人以上が亡くなってしまったと聞いたね。兄貴は絵が得意だったから、スターリンやトルーマンの絵を描いてなんとかひどい労働を免れていたらしい。でもね、兄貴の帰還の知らせをもらって家族みんなで品川駅に迎えに行ったとき、兄貴はなかなか列車から降りてこなかったんだよ」
次兄は5年に及ぶ抑留生活で、ソ連政府にすっかり洗脳されていた。
「それだけソビエトの教育がすごかったってことだ。その日はなんとか帰宅したけど、様子がおかしい時期が続いて兄貴はなかなか仕事にも就けなかった。終戦したら終わり、じゃないんだよ。
3年間戦争したら、復活するにはそれ以上の月日がかかる。町だけじゃない。心身を病んで帰ってきた復員兵たち、子どもを亡くした親たちも同じだよ」
悲惨な戦争を体験し、厳しい時代を生き抜いてきた毒蝮さんに、今の日本はどう映っているのだろう。
「政府が、国民に対して何か嘘をついているように見えるよな。それを厳しくチェックしなきゃいけない野党も、まとまりがなく役目を果たせてない。若い人も年寄りも、安心して暮らせなくなってる気がするよ」
終戦したから終わり、じゃない─。その言葉を裏づけるように、毒蝮さんの記憶は80年以上たった今も鮮明に残る。「戦争を語り継ぐことはボケ防止だよ」と時折、ユーモアを交えたその語り口は、若者たちにも耳を傾けてもらうための毒蝮さんなりの流儀だ。
「核兵器だって、すべての国が一斉にやめるといえば、その金を福祉や文化に使える。世界はもっと豊かになるんだよ。でもどの国も、やめるとは言わないよな」
戦争体験を語れる世代はすでに90代となった。本や映画ではわからない「戦争のリアル」を伝える声に、今こそ耳を傾けるときだ。
◎次号は伊東四朗さんが登場予定です
取材・文/植木淳子 撮影/佐藤靖彦(インタビュー)


















