『北の国から2002遺言』の中で五郎が廃材を集めて造った家
『北の国から2002遺言』の中で五郎が廃材を集めて造った家
【秘蔵写真】倉本聰さんと家族との記念写真、東大入学時の若かりし頃、他

 1984年には私財を投じて「富良野塾」を旗揚げ。オーディションで選抜された若者が農作業などで収入を得ながら創作に情熱を傾け、2010年の閉塾まで375人を育てた。その後、富良野塾の卒塾生を中心に、演劇活動を行う「富良野GROUP」を結成した。

「晩年まで執筆への意欲は衰えませんでした。構想に60年をかけた2024年の映画『海の沈黙』が現時点での遺作となりましたが、テレビ朝日は生前、倉本さんが書き下ろした『神様からの遺言』を来年放送すると発表。実話をもとに創作され、現在のテレビ界への思い、自らの老いとともに感じた死生観を込め“これがラストメッセージだ”と明かしていたといいます」

札幌のホテルで「5時間説教」

 富良野塾第9期卒塾生の納谷真大氏は倉本さんとの思い出をこう振り返る。

「僕は富良野塾の塾生の中でも一番怒られた弟子なんです(笑)。でもそれは一番可愛がっていただいたという自負でもあります。最も大きな出来事は、僕が2024年に札幌にある北八劇場の芸術監督に就任したときのことです。倉本先生に“記者会見を行うので先生のお言葉をいただけませんか”とお願いに伺ったんです」

 ところが、納谷氏を待っていたのは、思いもよらない5時間に及ぶ創作に関する“説教”だった。

「札幌のホテルで5時間説教を受けたんです。芸術監督を務めるにあたって、“1週間で7つの信念を書面にしなさい”と言われたんです。後日、先生の秘書にその書面を渡すと電話がかかってきて、“納谷、信念はひとつだよ”と言うんですよ(笑)。ユーモアにあふれて、愛情深い方でした。あんなに本気になって怒ってくれた人はいなかったと思いますね」(納谷氏、以下同)

 教えられた「信念」は、いまも納谷氏の創作の土台になっている。

「僕がものを作るときの考え方、その礎をすべて倉本先生が教えてくださいました。“根をちゃんと張りなさい”と教えていただき、僕の『根っこ』はすべて先生でできています」