名横綱・大鵬さんの言葉に励まされるも……
192センチ、150キロまで「身体」は大きくなった。さらには、立ち合いで左足を大きく踏み込み、低い姿勢から左腕でサブマリンのように相手の上手を取る。自らの型を見いだし、「技」を極めると、破竹の勢いで白星を重ね、ついに22歳で横綱昇進を果たした。父もまた、かつて22歳でモンゴル相撲の横綱に上り詰めていた。
22歳2か月での横綱昇進は、北の湖、大鵬に次ぐ3番目の若さ。わずか22歳の青年が、横綱としての品位を求められる─。私たちが、なじみのない国で、その国技のチャンピオンになり、特有の姿勢を求められると想像したらわかりやすいだろう。
「大関から番付が一つ上がったくらいだろうと考えていたんですよね。ところが、どうやらそういうことではないらしい。不安になって、大鵬さんを訪ねました」
当時、歴代1位の幕内優勝32回を誇る大鵬は、白鵬にとって尊敬する大先輩でもあった。「心」を学びたい。2人の会話は、実に5時間に及んだという。
「大鵬さんは、『横綱は宿命なんだ』と話されました。『横綱というものは、勝たなければいけない。勝てなければ、引退しかないんだよ』とも。横綱の負けは、死を意味するほど重いものだと気がついたんですね」
その言葉は、横綱としての覚悟を教えてくれた一方で、白鵬の心に重くのしかかった。勝つことが使命であり、負ければ引退につながる。そう考えると、「土俵に上がること自体が恐ろしく感じられる日もあった」と漏らす。
「国技館に向かうときに交通事故に遭えば、『土俵に上がらずに済むかな』とか考えましたよね」
横綱の土俵入りには、邪気払いと安全祈願の意が込められているが、綱と化粧まわしを合わせると、その重さは22〜23キロほどになるという。
「付け人にまわしを締め上げられるため、腰の血管がほぼ止まった状態で四股を踏む。大鵬さんも話されていましたが、土俵入りは相撲二番分に匹敵する体力を使うと。全力で四股を踏み、かしわ手を打つ。すり足のときに足の裏の皮がむけることも珍しくない。場所中、横綱は一日に三番取っているようなものなんです」
横綱の心持ちを、白鵬はこう表現する。
「大関の心は富士の麓。横綱の心は富士の山頂」
誰よりも横綱として向き合っていた。盟友であり戦友でもある横綱・朝青龍が再三、品位を疑問視されたこともあり、白鵬は理想の横綱像を追い求めた。'10年1月に、朝青龍が暴行問題の責任を取り、引退すると、白鵬は一人横綱として、相撲界の重責を一身に背負うことになる。
その矢先、相撲界を激震が襲う。暴力団関与の指摘を含む「野球賭博問題」である。事態を重く見たNHKは、騒動直後の'10年7月名古屋場所のテレビ・ラジオ生中継を中止したほどだった。
「お客さんから厳しい言葉が飛んでくると思っていた。ところが、『白鵬、頑張れ』『相撲を取ってくれてありがとう』と声援を送ってもらって。うれしかったなぁ。『よし!』と吹っ切れた。言葉というのは大切なんだなと、改めて教えられましたよね」
だが、この場所で全勝優勝を成し遂げた白鵬を待っていたのは、異例の表彰式だった。天皇賜杯などの外部表彰は行われず、賞状と優勝旗が授与されただけ。式はわずか5分で幕を閉じた。土俵上で、白鵬は悔し涙を流し、唇を噛んだ。
「自分を成長させると腹をくくって臨んだ場所でした。それだけにつらかったですね」
2010年は、あの双葉山の69連勝超えに挑もうとしていた年でもあった。十一月場所2日目、稀勢の里に敗れ、連勝記録は63で途切れたが、スキャンダルではなく、横綱としての「強さ」で世間の注目を取り戻す─今思えば、単なる記録更新への挑戦ではなく、角界に向けられていた色眼鏡に対抗する、横綱としての矜持のようにも感じる。
しかし、翌年2月に八百長問題が発覚すると、相撲界は再び混乱の渦中に引き戻される。三月場所が中止となる中、さらには東日本大震災が発生する。3月11日は、くしくも白鵬の誕生日でもあった。
相撲協会は、6月4日から8日にかけて巡回慰問を行い、岩手、宮城、福島の3県10か所を訪れた。行く先々で、白鵬は鎮魂と復興を願う土俵入りを行い、その姿をひと目見ようと、多くの人が集まった。
土俵入りはいつしか、人々の不安を和らげる「ハレの場」へと変わっていった。感慨深げに、白鵬が語る。
「岩手県の山田町立山田南小学校を訪れたとき、小学校の昇降口前で土俵入りをしたんですね」
それまで同町では毎日、大小の余震が続いていたのだが、土俵入りの翌日から数日間はまったく余震がなかったという。「あの日、震災後初めてゆっくり眠ることができました」。電話口で謝意を伝える言葉を聞いて、「鳥肌が止まらなかった」と述懐する。
「この国と大相撲はつながっているんだなと。大相撲は単なるプロスポーツではないと感じました。相撲には、目に見えない力があり、土俵の神様は存在するのだと確信した。横綱として自分は何ができるのか。考えましたよね」



















