お笑いへのこだわり
お笑いへのこだわりも、すでにこのころから。
「異常なくらい好きだったんですけど、バレたらあかんと思ってたんです。で、周りで笑かしてる子を“テレビで言ってんのをそのまま言ってるだけやん”って見てた」
当時、好きだったのはドリフターズや新喜劇、漫才など。
「高学年になると周りはひょうきん族に転向していったけど、僕はしぶとくドリフ派で。ひょうきん族は、みんな大人のフリして笑ってんちゃう?と疑ってました。大人になって見たら、やっぱり面白かったです」
お笑い好きを隠していたことからもわかるように、引っ込み思案だった哲夫。友達も多くなかった。
「両親が二人とも目立ちたくないタイプで、小4までその影響を受けていたのかも」
変化が訪れたのは、小5のとき。市のサッカークラブに入りメキメキ上達したことで、体育の授業で憧れの的になる。
「ほかにやっている子がいなかったので、チヤホヤされだして。友達も増えていきましたね」
勉強のほうはどうだったのかというと。
「小学校では何にもしなくて、ほんまにアホでした。でも姉ちゃんから“中学は中間テストと期末テストがあるから、めっちゃ勉強せなあかん”と言われて。それで最初の中間テストでめちゃめちゃ勉強したら、びっくりするくらいええ点が取れたんですよ」
猛勉強は、あっさり結果につながった。ところが、勉強ができるようになった途端、別の難題が降りかかる。うれしさのあまり隣の女子に点数を見せると、後日、男友達から「点数自慢して、あの子に嫌われてるで」と告げられたのだ。
「可愛くて有名な子だったんで、“あんな可愛い子に嫌われてるの!?”って落ち込みました。それから点数のところを三角に折って隠すようになったんです」
だが100点のときにも折っていたら、その女子が「全部マルなのに折り曲げてる」とコソコソ。
「どうしたらええねん、と。中学は捨てようという気持ちになってましたね」
そんな彼の心に火を灯したのは、高校サッカーのテレビ番組。中学にはサッカー部がなく、部活ではできずにいた。県内トップクラスの公立高校が活躍する姿を見て、「ユニフォームもサッカースタイルもカッコいい。ここに行こう!」と決意。猛勉強の末、'90年、県立奈良高校に合格した。だが、入ってみると……。
「自分がいちばんうまいだろうと思ってたら、いちばん下手で。しかも、ユニフォームが替わってたんですよ。何しに来たんやろ、と(笑)」
3年間、レギュラー入りはかなわなかった。それでも、部活の帰り道には出番があった。
「みんな面白い子で、帰りに大喜利をしてたんです。そのときだけはウケまくってレギュラーでした」




















