「こんな面白いヤツが売れないわけがない」

結成当初から「Wボケ」の独自スタイルを貫き異彩を放っていた笑い飯
結成当初から「Wボケ」の独自スタイルを貫き異彩を放っていた笑い飯
【写真】2000年にコンビを結成した笑い飯の2人

 '94年4月、1浪で関西学院大学に入学。関西難関私立大学“関関同立”の一つだが、胸中は複雑だった。

「バチが当たるかもしれないけれど、学費が高い大学に通っているのが嫌やったんです。親に申し訳ないという気持ちが強かったですね」

 “親のスネをかじって浪人はできない”と、予備校時代に“小遣いもらわん宣言”。そこからバイト人生が始まり、大学でもさまざまなバイトを経験した。

 専攻は哲学。教職課程も取り、母校の奈良高校へ教育実習に行った。さらに、お笑い活動もスタート。2年生でお笑いサークルをつくり、「スキップ」というコンビでオーディションを始めた。そこからインディーズライブや東京の事務所が大阪で開催するライブに呼ばれるようになっていく。

 芸人の道を考え始めたのは中学生のころだ。

「自分のことを世界一面白いと思っていたから、プロになるべきだと考えたのがいちばんデカいんですが。もうひとつの要因に、中学のときに見た地球温暖化の映像があります。すごい恐怖だったんですよ。絶対にこうなってはいけない、どうやったら阻止できんねや、と考えた結果“発言権が必要だ、そのためには目立つ存在にならないと”って思ったんです」

 就職活動では吉本興業の入社試験も受けた。吉本のライブにあまり出られなかったので、まず社員になり吉本タレントへ、という方法を思いついたのだ。だが、志望動機で「漫才がしたいため」と答えると、「来るところ間違ってるで」と手渡されたのがNSCのパンフレット。

「それで一応、記念受験したんです。でも面接が高校の友達と毎年行ってる旅行の日で。後日、面接に行ったら“一生やりたいお笑いと旅行、どっちが大事?”と聞かれ、旅行と答えたら落ちました。NSCの試験ごときでなんで旅行の日程を変えなあかんねん、と(笑)」

 '98年3月、大学を卒業。就職はせず、親には「教員の枠が空くのを待ってるという雰囲気を出して(笑)」、バイト&お笑いライブの忙しい毎日を送る。

「友達は就職したので、居酒屋で給料の話をするんです。僕はバイトしかしてないけど、みんなを上回るくらい稼がんと嫌やと思って、めちゃくちゃバイト入れてました。そのおかげでスケジュールがうまく組めるようになって、今でも助かってます」

 定職のない生活でも、本人に焦りはなかった。

「こんな面白いヤツが売れないわけがない、絶対に売れるっていう途方もない自信がありました」

 大石さんは、「芸人になるとは、高校時代は想像もしていなかった」と言う。

「大学在学中にお笑いの道に入ったことは知っていましたが、ものになるかはわからないので、たまに飲みに誘って様子を見ていました。ライブをのぞきに行ったこともありますが、なかなか売れず心配でしたね」(大石さん)