共に過ごした「千鳥」の大悟とノブ
売れる前の日々を共に過ごしたのが、「千鳥」の大悟とノブだった。大学入学を機に一人暮らしを始めた哲夫は、1年の冬、阪神・淡路大震災を経験し実家へ戻った。'99年ごろからは、大悟の家に入り浸るようになる。
「ノブや西田(幸治)くんと勝手に転がり込んで。“何しよんねん”と言われたくて、服借りてスキー行ってました(笑)」
哲夫の車で、4人そろってドライブにも出かけた。買い出しひとつにも、ボケとツッコミは欠かせない。
「コンビニで車を止めてノブに買い出しを頼むんです。ノブは置いていかれるのをわかりながらも“はいはい”と買いに行く。“待て待て!”をしたいんですよ。僕らはそれをわかってるから、車のドアを開けてきっちり待っててあげる。で、ノブが戻ってきて“行けよ!!”ってツッコむんです(笑)」
「一生やってくれる人」とつかんだ9回目での王座
2000年、「スキップ」の相方がやめることになり解散。その後すぐに、西田幸治と「笑い飯」を結成した。
「次は一生やってくれる人とやらんとなと思ったんです。同じころ、一緒にライブをやっていた西田くんのところも解散して。前から仲良かったし、一生やってくれる人やと思って組みました。僕にとって、彼は共同作業者。二人で漫才してお客さんがワーッと笑ってくれると、すごい高揚感があるんです」
結成後しばらくは、一緒に奈良の春日大社へ初詣に行っていたという。だが、知名度が上がるにつれ、だんだん行きづらくなった。
「すごく混んでるんで、離れ離れになるんですよ。そしたら“あっちにいるの笑い飯や”“もう一人は前におる”とかコソコソ話してるのが聞こえてきて。でも、満員電車みたいな混み具合だから動けないんです。それから行かなくなりましたね」
これほどお笑いに打ち込んでいたのに、両親には長く秘密にしていた。
「引っ込み思案の両親なので、ずっと言ってなかったんです。僕にとって“お笑いやりたいねん”は“ここにエロ本入れてんねん”と同じくらいの言いにくさだった」
伝えたのは'02年。読売テレビ出演が決まり、放送1週間前に告げた。
「めちゃくちゃ驚いてました。でも反対も何もすぐテレビに出ちゃってたんで(笑)」
その後しばらくして、ある番組の『一緒に飲みに行ってくれる先輩ランキング』で1位になった哲夫。それを見た父が喜んでいたと知り、うれしかったという。
「“哲夫は慕われとるな”と言ってたのが印象的でした。こういう親孝行の仕方もあるんやなあって」




















