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 家庭環境に恵まれない子どもたちに手料理をふるまい続ける女性がいる。豊かなはずのこの国で、空腹から非行に走る少年がいるからだ。これまで200人以上の更生を支え、いつしか“広島のマザー・テレサ”と呼ばれるようになった。

 広島城を見下ろす広島市営基町高層アパート。夕刻になると、中本忠子さん(81)のピンク色のスマホが鳴り始める。

「仕事終わったん? それなら来んさい」

 まもなく中本さんがひとり暮らしをする2DKの一室に、剃り込みを入れたり派手なチェーンネックレスをした少年が1人、2人とやって来た。

「ばっちゃん、腹減ったー」

 自宅に帰ったかのようにくつろぎ、 できたての親子丼や煮物をガツガツとほおばる。

 食べ盛りらしくおかわりを重ね、表情も緩んでゆく。中本さんらとたわいないおしゃべりに花を咲かせ、なかなか腰を上げようとしない。

 こうして1日3~10人、9歳から22歳までの子どもや若者が訪れては空腹を満たす。

「ここに来る子いうたら、親が薬物依存症、刑務所を出たり入ったり、虐待、ネグレクト……まず普通の家庭の子は来んけんね。食べることは毎日のことじゃけ、ばっちゃんは盆も正月も休めんのよ」

 中本さんはそう笑う。

「人は食べんことには悪いほうへ向かってしまう」

 そんな信念で、来る日も来る日も台所に立つ。

 中本さんは21歳で結婚。3人の男の子を授かったが、末の子が生まれた直後に夫を心筋梗塞で失う。父親の記憶がないほど幼かった3人を女手ひとつで育てた。

 1980(昭和55)年、中学校のPTA役員になった。学校は荒れており、警察に補導された生徒らを忙しい保護者の代わりに迎えに行くうち、顔見知りになった警察官に「保護司になりませんか」と声をかけられた。

 保護司とは、保護観察処分になった少年などの更生を助けるために法務大臣から委嘱される地域ボランティアのことだ。

「当時は、それって何? という感じよね。でも、わからんけどええよって(笑い)」

 これが、現在の活動につながるきっかけだった。2年後、保護司としてシンナーをやめられない中学2年の男子生徒を担当した。

「骨の上に皮が乗っかっとるような状態で、顔色は気色悪いほど青い。髪にも服にもシンナー臭が染みついて、誰も寄りつこうとせんかったよ」

 袖の中に隠し持ったシンナーを手放そうとしない少年と向き合うなかで、ある日、こう尋ねた。

「なんでそんなにやめられんの?」

 すると予想もしなかった答えが返ってきた。

「腹が減ったのを忘れられるから」

 少年は母子家庭で、アルコール依存症の母親から食事を与えられていなかった。中本さんはしみじみと振り返る。

「すごい衝撃よね。この時代に食べられない子がいるなんて考えてもいなかった」

 空腹に気づけなかったことを詫び、その晩から毎日、少年のご飯をこしらえた。お腹いっぱい食べられるようになった少年はシンナーをやめ、同じような境遇の友人を中本さんのもとへ連れてくるようになった。行き場のない子たちの「たまり場」になった。

取材・文/秋山千佳(フリーライター)