光石研は地味なモノマネが得意

 光石研(55)といえば、'78年に公開された主演映画『博多っ子純情』を思い浮かべる人が多いかもしれない。意外なのは、これまで200本近い映画に出演していても、主演は『博多っ子純情』を含めてわずか数本だという。

 光石は北九州の出身。最初から役者になる気はなかったようだ。

「子どものころからインテリアやデザインが好きで、実家の自分の部屋の模様替えをしたり、ひとり暮らしで借りた部屋もいじっていました。それは今でも変わらず、現在住んでいるマンションの部屋も自分で考えてリフォームされています。家具やオブジェにも彼なりの強いこだわりがあるみたいです」(芸能ライター)

 そんな光石と役者人生との接点はというと……。

「人を観察して、特徴をつかむのがうまかったですね。有名人のモノマネはしていませんでしたが、学校の先生や近所のおばちゃん、同級生などの地味なモノマネが得意でしたよ」(光石の知人)

 その観察力が彼の演技力に磨きをかけているに違いない。

松重豊は昔から硬派

店の主人が、昨年になって初めてもらった松重豊のサイン。“ここから出発しました”と書かれている
店の主人が、昨年になって初めてもらった松重豊のサイン。“ここから出発しました”と書かれている
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 '12年、異色のドラマ『孤独のグルメ』(テレビ東京系)で初主演を果たし、“脇役”から脱却した松重豊(53)。

「役者がそんなに食べて太ったら困るんじゃないの」

 という心配をよそに、毎回料理を完食していたが、

「シリアスな役が多いので、太らないように気をつけているようです」(制作会社社員)

 そんな松重が、“自分の原点”という店が下北沢にある。

「どこにでもあるような『M』という中華料理店です。彼が大学卒業後、役者として売れるまでアルバイトをしていました。同時期に甲本ヒロトも働いていましたよ」(常連客)

 それ以来、店とは30年の付き合いになるが、

「昔から硬派なキャラで全然チャラチャラしてなかったそうですね。バイトが終わった後に店でよく飲み会をしていたのですが、酒グセが悪いバイト仲間を、彼はいつも諌めていたとか」(前出・常連客)