「2週間で治る」妻の言葉を支えに

 還暦を迎えた年、三宅は脊柱管狭窄症とヘルニアで、動けなくなって救急車で運ばれる。

「半年間、仕事を休んで入院して、リハビリをしました。おそらく、それまでのストレスとか疲労とか、全部が出てきたんです」

 このとき、大きな支えとなったのが妻だったという。

「女房は、何の根拠もなく2週間で治るって言ってました(笑)。それがすごく精神的な支えになった。でも医師からは、止まってしまった神経がリハビリで伸びなければ、障害が残ると説明をされていたそうです。事務所がそれを伝えようとしても女房は一切聞こうとしなかった」

 ある日、治療をしたときに、まったく動かなかった足がクッと動く。そこからどんどん動くようになって、ついに立てるようになった。

「だからその全部が“ダイジョーブ、2週間で治るから”と、そう本気で信じて言ってくれてる女房の言葉にあったんです。支えになりますよ、リハビリ頑張りますよね」

 人は病をきっかけに、家族のありがたさについて考え直す。

「子どもも、いままでと違う見え方しますしね。ほんとに大事だなって。かけがえのない自分の子だっていうことで責任の重さを感じました」

 それまで驚異的なスケジュールで働き、ストレスを忘れるために酒を飲み、倒れるように眠っていた日々。それも変わった。腰に負担をかけないように、ダイエットして、10キロ以上も減量してスリムになった。

芝居をやめたいと思ったことも。「やめるのはいつでもできる」という仲間のひと言で続けられた 撮影/坂本利幸
芝居をやめたいと思ったことも。「やめるのはいつでもできる」という仲間のひと言で続けられた 撮影/坂本利幸
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「そこからは健康、健康ですよ。女房に対しても、ゆるやかにですけども変わったでしょうね。ヘタしたら、自分しか見えなくて、自分のリハビリのおかげで、俺は復帰できたんだって思ってたかもしれないから」

 かつて小学校4年のとき、山梨から転校してきた気になる女の子がいた。時をへて高校3年のクラス会をきっかけに再会して、デートするようになるが、大学に入って別れることに。

「でもバンドでライブとかパーティーがあると、彼女には声をかけていたから、お互い未練はあったんでしょうね」

 結局7回付き合って、7回別れることになるのだが、35歳になったときに2人は結婚する。SETも順調に成長して、三宅はテレビやラジオの仕事でも人気者となっていた。

「結婚したときに、やっぱり結婚するならあいつだったんだよっていう話を、友達にはしていた。彼女は彼女で、いざ結婚となると、三宅君しか思い浮かばなかったって。だから縁があったんでしょうね」

 笑いと感動を共有できる相手と結婚できれば、幸せになれるという。

「もちろんいろんなことありますよ。ケンカもするし一緒にいたくないときもある。でも同じものをおかしいと思い、同じものを美しいと思い、感動する。そこのセンスが同じだっていうのが、いちばん大きい。それとドジが多いから、ネタの宝庫ですよ(笑)。そういうよさがありますね」