再び頂点を目指して故郷・青森へ

 出口の見えないトンネルに迷い込んだ中田に救いの手を差しのべたのが、同じ青森出身で国士舘の7つ後輩に当たる、現・青森山田高校監督の荒川栄だった。

「先生、一緒に青森に帰りませんか?」

 荒川監督が電話口でこう声をかけたとき、中田は思わず涙を流したという。

中田を青森大学に誘った、系列校・青森山田高校新体操部の荒川監督 撮影/八木橋虎史
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「僕は国士舘のころから中田先生に面倒を見てもらっていて、何度も坂出に出向いてチーム作りを学ばせてもらいました。その後、盛岡市立高校で指導をしていたんですが、地元の青森山田から “戻ってこないか” という話が舞い込んだ。青森に戻るなら、系列校の青森大学でも男子新体操を強化して高校生の受け皿を確立し、王国を築き上げたいと考えて学校側に打診したんです。

 そのうえで中田先生に “青森で真の日本一のチームを作りましょうよ” と声をかけました。先生も坂出での後半は苦労されていたので故郷に帰れば必ず能力を生かせると信じていました」

 こうして青森大学へ赴くことを決意した中田。苦しい時期を陰から支え、彼が2002年に新天地に赴いた2年後に結婚した小学校教師の妻・雅子さんも、その決断を喜んだ。

「坂出最後のころはお酒で紛らわそうとする姿が目について本当に心配でした。 “お酒はほどほどにして” と声をかけると “自分はお酒に助けられてきたからやめられない” と言う。青森行きの話も相当、揺れていたと思います。最終的に行くと聞かされたとき、私は心からよかったと思った。自分も主人についていこうと決めて小学校教師をやめ、青森の教員採用試験を受け直しました。そのとき39歳。青森の採用試験は40歳までなので私には1回しかチャンスがなかった。懸命にチャレンジして合格することができました」

 中田本人も「あいつがいなかったら俺はダメになっていたかもしれない」と本音を吐露する。それほど存在が大きかった。彼女が猛勉強した採用試験の問題集を捨てようとしたときも「取っておけ」と言い、今も大事に保存しているという。そういうところが不器用な男の愛情表現なのだろう。妻は学生たちを家に呼んで食事を振る舞うなど、今も夫のサポートを欠かさない。2006年に誕生した長男・光乃介君も頼もしい父の背中を見ながら新体操にまい進している。生活面や精神面で安定したことが、青森でのいい仕事につながっているはずだ。

中田を献身的に支え続ける妻・雅子さんと父の背中を追う長男・光乃介君 撮影/八木橋虎史

 とはいえ、2002年春に青森に戻った直後、彼に用意されていたのは学生寮の販売員。最初の1年はこの仕事をする羽目になった。大学を卒業してから足かけ15年間、教職に就いてきた36歳の男性にとってこの扱いは屈辱的だった。誘った荒川は「約束が違う」と激怒し「すぐにやめましょう」と言い出したが、中田は「とりあえず3年は腰を据えてやる」と宣言。午後から新体操の練習に専念できることをポジティブにとらえて動き出した。

「青森大学の男子新体操は3人の同好会からスタート。僕が来るということで2002年に8人が入って11人になり、部に昇格しました。すぐに全国高校トップ選手は取れないので2番手3番手を集めたけど、同年8月のインカレでいきなり優勝しました。5月の東日本インカレでは国士舘と0・45の差。野球でいえば10対0くらいの差でしたけど、3か月あれば勝負できると考え、坂出の最初と同じように意識改革から始めたんです」

 中田が口癖のように言ったのは「今、できんやつは3年後もできん。目の前のことを必死にやれ」ということ。「気持ちで負けたら話にならない」という信念を選手たちにストレートに伝え続けたのだ。

 加えて、猛練習を課した。あるときは朝9時から翌朝4時までの19時間を費やし構成を考えさせた。プログラムに工夫を凝らし構成に4か月もの時間をかけるというのが、中田のモットー。12×12mの床を大きく使い、指先1本1本までこだわり抜いた独創的な演技をするというのは生野、坂出時代から積み上げてきたこと。「ブランコ」の原型も坂出ですでに作り始めていたが、ほかに作れない斬新な大技を編み出し、それを構成に盛り込んでいった。そのトライを選手自らやらなければ意味がない。坂出時代に反発を食らった反省から、中田は学生たちの自主性を重んじることを忘れなかった。

「青大の男子新体操は高さ、大きさ、美しさ、スピード、運動量の5つを追求しています。1人の選手を追いかけてみると他との違いがよくわかると思います。床の1辺を4歩で移動するというのも僕らしかできないこと。中田先生はそういう細かいことにこだわり、絶対に妥協を許しません。構成を考えていても “それは見たことがある” と言われることがすごく多い。同じ運動でも手の角度や跳躍の仕方を変えるなど工夫を凝らし続けなければ認めてもらえません」と現チームの大岩達也・団体主将(新4年)が神妙な面持ちで語っていたが、緻密なディテールの積み重ねがあるからこそ、青森大学は急激に強くなり、結果的に15連覇までたどり着いたのだ。