新体操の枠を超えたエンタメへ

 この15年間で中田にとってターニングポイントとなった出来事が3つあった。1つ目は2003年の全日本での優勝。2002年のインカレを制しながら全日本をとれなかったことで、中田は「絶対に勝てる不動のチームを作ろう」と決意。個人能力の高い国士舘、福岡大に勝る構成を考え、実践した。

「このときの3年に大坪政幸という男がいました。荒川が盛岡市立で指導してウチに来た選手で、発想したことを床の上で実践できる実力と人間力を兼ね備えていた。ひとつひとつの動きの意味を理解できる彼がいたことで、僕らも過去にないものを作れたし、新体操の枠を超えた芸術を作れたと感じました。一例を挙げると、それまでの新体操の手の使い方は、握るか、伸ばすか、開くかの3種類しかなかった。われわれは指をいろんな形で使うことで表現を多様化することも取り入れた。賛否両論はありましたが、既成概念を壊せたという実感を得ましたね」と中田はしみじみ言う。

 2つ目は2005年の全日本優勝。個人能力の高い集団だったこともあり、より高さとダイナミックさを追求でき、アクロバティックな要素を追加。2次元から3次元へ飛躍した手ごたえを得たのだ。「こんなことができるんだという領域までたどり着いたと思います」と指揮官は胸を張る。

 そして3つ目が2009年の全日本制覇。実はこの年に大坪が脳腫瘍で逝去するという悲しい出来事に見舞われ、青森大学は「政幸のためにも絶対に勝たないといけない」と意気込みを新たにした。その大舞台で芸術性と気迫を兼ね備えた完璧な演技を披露。これがユーチューブで300万回再生されるに至り、一気に知名度がアップした。

選手の演技、構成、手の角度に至るまで一切の妥協は許さない 撮影/八木橋虎史
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 そこでアプローチしてきたのがシルク・ドゥ・ソレイユ。世界ツアーに青森大学から3人、国士舘から2人を送り出すことになり、エンターテイメントに踏み出す契機となった。その後、2013年2月に青森大学新体操のオリジナル舞台である「BLUE」もスタートさせる。

 これを見た世界的デザイナー・三宅一生氏からオファーを受け、同年6月には彼のプロデュース舞台「青森大学男子新体操部」を公演するに至った。さらには、OBによるプロチーム「BLUE TOKYO」も発足するなど、彼らの活動範囲は、今や新体操競技の領域をはるかに超えている。

「 “新体操の舞台を作りたい” というのが、政幸の最後の言葉でした。そこに自分がパフォーマーとして出るという夢を持っていた。その彼が亡くなった年の全日本の演技をきっかけにエンターテイメントに進出することができたのは、偶然ではないと思います。

 三宅さんもBLUEの映像を見て、1週間もたたないうちにショーを開いてくれた。インカレ直前の慌ただしい時期ではあったんですが、本番まで1か月あれば準備可能だと踏んで参加しました。リオ五輪にしても、われわれの芸術性と技術の高さを理解してもらう絶好の場になった。政幸が導いてくれたものに感謝しつつ、この先も発展させていきたいですね」

 と、中田は亡き教え子に思いを馳せた。

 男子新体操の芸術性と競技力の両方を極めていくのが、今後の指揮官の目標。前者で言えば、BLUEの規模拡大、OBの活躍の場を増やす、2020年東京五輪への参加などがターゲットになってくる。後者では国体の復活、世界大会実施、指導者の養成、競技人口の拡大などが挙げられる。日本でそういった新たなチャレンジの牽引役になれるのは中田だけ。それは誰もが認めるところだ。

「中田先生は職人気質を持った日本屈指の指導者。多くをしゃべって伝えるのではなく、心で語りかけられる人。独特の空気感を持つカリスマ的リーダーだと思います。だからこそ、荒川先生のようなよき参謀が集まってくる。そういう人材をうまく使いながら、男子新体操を発展させていってくれると思います」

 今年1月の高校サッカー選手権で全国制覇を果たした系列校・青森山田の黒田剛監督もエールを送っていた。他競技からも一目置かれる名将がどんな変化を遂げていくのか。男子新体操がどう進化していくのか。その動向を興味深く見守っていきたい。

取材・文/元川悦子