目次
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ー 現実とは思えなかった
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ー 僕の姿を見て希望を感じたり、立ち直るきっかけになってくれたら
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ー 自分の可能性を信じて歩き続けたい

 20歳で突然、手足3本を失った─。絶望の中で山田千紘さんを支えたのは、家族の「生きてくれてありがとう」という言葉だった。左手だけの日常生活、義足での再歩行、仕事復帰、結婚、そして富士山登頂やホノルルマラソンへの挑戦。「限界を決めたくない」と語る彼が歩んできた、自立と挑戦の日々とは。

現実とは思えなかった

 目が覚めたら、そこは病院のベッドの上だった。事故当時の記憶も、搬送されたときの記憶もない。そして、右腕と両足を失っていた。

 2012年7月。20歳だった山田千紘さんは、仕事の疲れもあって、終電を待つホームから線路に転落。入線してきた電車に轢かれるという大事故に遭った。

右手と両足の計3本を切断しましたが、幸いなことに脳や内臓に損傷はありませんでした。生きていること自体、奇跡だったのかもしれません。でも、自分に起きたことが、現実とは思えませんでした」(山田さん、以下同)

 と、当時を振り返る。やがて、手足のない自分の現実を少しずつ受け入れ始めると、今度はこの先の不安や、家族、周囲への申し訳なさが胸に押し寄せてきた。

事故のこと、身体のことで迷惑をかけて、ごめんなさいという気持ちが強く、死にたいと思いました

 そんな山田さんに、家族がかけたのは「生きてくれてありがとう」の言葉だった。

 そのひと言をきっかけに、山田さんは前を向く。事故から10日後には気持ちを切り替え、利き手ではない左手で箸を使い、文字を書く練習をする。その後、リハビリテーションセンターに転院し、社会復帰のための本格的なリハビリに取り組んでいく。

掲げた目標は“自立”です。同じ年齢の人が大学を卒業して社会人になる22歳の4月をゴールに設定しました。失ったものは大きいですが、残った左腕の可能性に懸けてみようと、毎日リハビリに励みました

 左腕の筋力トレーニングを行い、同時に1年ほどかかるといわれた義足歩行も、周囲が驚くほどのスピードでクリアしていく。それは不断の努力があってこそだ。

すべてがマイナスからのスタートですが、できることが少しずつ増えていくことで達成感を得られ、ポジティブになれました