入院期間に、家族をはじめ、医師、看護師、リハビリを指導する理学療法士や作業療法士、義足をつくる義肢装具士など、多くの人に支えられていることを実感した。その人たちへの感謝の思いが懸命なリハビリを、さらに後押しした。

僕の姿を見て希望を感じたり、立ち直るきっかけになってくれたら

 義足で歩けるようになると車の免許を取得。職業訓練校に通い、事故から2年後には障害者枠で再就職を果たす。そして目標どおり、自立のためのひとり暮らしを始める。

事故から約3か月、初めて義足をつけて感動の涙を流した 写真提供/山田千紘さん
事故から約3か月、初めて義足をつけて感動の涙を流した 写真提供/山田千紘さん
【写真】31歳で富士山登頂!未来を見つめ前を向く、清々しい表情の山田さん

事故前は実家暮らしでしたが、掃除から着替え、洗濯も、全部ひとりでやるしかない。料理もしたことがありませんでしたが、節約も兼ねてお弁当を作るようになりました。リハビリもそうでしたが、できることが増えるたびに、自分の成長を感じました。毎日が攻略本のないゲームに挑んでいるようでした

 現在は会社員として働きながら、スキューバダイビングをはじめ、さまざまなスポーツや富士山登山などにもチャレンジ。今年はハワイで行われた、ホノルルマラソンにも挑戦した。

 そして、YouTubeチャンネルを開設し、日常生活やチャレンジする姿を発信し、自分の思いを語ってきた。その姿は多くの共感を呼び、同じように障害のある人やその家族からの反響も大きいという。

僕の姿を見て希望を感じたり、立ち直るきっかけになってくれたら。僕の一歩が誰かの一歩になればと思っています。失敗しても、そこには必ず成長があり、無駄なことはないと信じています

 もともと前向きで明るい性格だという山田さんだが、壁にぶつかるたびに悩みながら、周囲の支えに力を借りて立ち上がり、歩いてきた。

特に3歳上の兄の存在は大きいですね。事故直後は仕事を休んで付き添ってくれ、ひとり暮らしを始めるときにはお金も貸してくれました。本音を話せ、弱音を吐ける相手でもあり、そんなときも活を入れてもらいました。兄には本当に感謝しかないです

 そして昨年、山田さんは結婚。頼れる、もうひとりの新しい家族ができた。

どんな困難も、彼女となら一緒に乗り越えていける。共に笑えて“ここが自分の居場所だ”と思える人です。ホノルルマラソンも、一緒に出場しました

 生活面ではしっかり自立している山田さんだが、日々の暮らしにおいて事故の影響が完全になくなることはない。

 事故から14年。左手や義足を使いこなせるようになった今でも、時々襲われる強い痛みがある。それが“幻肢痛”だ。

事故直後は、腕も足も失っているのに、まだそこにあるような感覚があって、しびれるような痛みがありました。今でも年に数回、激痛が走ります。残念ながら対処法はなく、痛みが過ぎ去るのをただ耐えるしかないんです