戦争後がれきの中で遊ぶ子どもたち

 家族や親戚、友人の命。昨日まで当たり前のように自分の一部だった手足。コツコツと働きやっと建てた自慢の家、家族ぐるみで付き合う近所の人々。

 ガザにひとつしかない発電所、人々が子どもを連れて訪ねていたクリニック、農民が必死で耕してきた畑、国連が運営する学校ですら、イスラエル政府によるミサイル攻撃の的になった。

電気は1日3〜4時間だけ

 最後に起こった2014年の戦争では51日もの間、毎日、1日平均100発のミサイルがガザに落とされていた。

 ラザーンさんが暮らしていたフザーア村も、イスラエルとの境界に近かったために軍事侵攻を受け、がれきの山となった。復興資金は半分も集まらず、今でもガザ地区は戦争の痛手から癒えきっていない。

「'14年の戦争のときは、当時8歳の長男が5キロもやせたの。砲弾の音が聞こえる毎日で、攻撃があったらすぐ逃げられるように、いつも1階で寝ていたわ。

 息子は“ガザから出たい”って涙ながらに何度も口にしていたけれど、叶(かな)えてあげられなかった。ガザを出る許可を、イスラエル政府から取ることができなくて」

 そう筆者に語ったのは、36歳のハイファさんだ。保健師として働きながら4人の子どもを育てるワーキングマザーの彼女は、ガザの暮らしについてこう語る。

2014年の戦争から半年、瓦礫の中に干される洗濯物

「電気は1日3~4時間だけ、それもいつ来るかわからないの。だから“電気が来た!”とわかった瞬間、深夜でも早朝でも洗濯機を回しているわ。そんな状況に振り回されてしまうから、最近は“私の暮らしに電気は必要ないんだ”って毎日、自分に言い聞かせているの」

 ガザに暮らす10歳の子どもはすでに、ミサイルの音が昼夜を問わず響き渡る戦争を3回も経験し、家族や親戚、友人を失っている。物資も資金も不足しているガザは、戦争の復興に15年以上を要するという。そして、イスラエルによる封鎖が終わる見込みはない。

 親たちがどんなにいい未来を願い、心を痛めたとしても、子どもたちはこの喪失やトラウマを胸に、希望を持てないガザの中を生き抜いていくしかないのだ。

〈後編に続く〉


執筆/特定非営利活動法人『日本国際ボランティアセンター』(JVC) パレスチナ事業担当・並木麻衣

JVCはガザの危機的な状況に対し、医療現場を支えるための人道支援を開始しました。「人間らしく生きたい」と願う人々への支援に、ご協力をお願いします。詳しくはこちら『日本国際ボランティアセンター』(https://lp2.ngo-jvc.net/)をご覧ください