大切な3人の自殺に苦悩

 ’96年、24歳になった根本さんを悲劇が襲う。朝、大学へ向かう途中、停止していた根本さんのバイクに、クルマが突っ込み、重傷を負ったのだ。

 しかし悪いことばかりではなかった。入院先の病院で、将来の伴侶(はんりょ)となる裕紀子さんと出会ったからである。

「私は同室のお年寄りの担当だったんですが、看護学生だった私に、主人が声をかけてきました。第一印象は、ヘンで怖そうな人。でも話してみると面白い人でした。気がつけば、病室の掃除担当の男性も主人の周りに来て、仲よくなっていて、今までに会ったことのない人でしたね」

退院後、5つ年下の裕紀子さん(現妻)とレンタルバイクで千葉一周デート
退院後、5つ年下の裕紀子さん(現妻)とレンタルバイクで千葉一周デート
【写真】「旅だち」体験の様子、根本さんの学生時代など(全10枚)

 交際を深めるうちに、根本さんの意外な一面を知ることになる。それは、「人は何のために生きるのか」といった哲学的なテーマに興味があるということだ。哲学者の小阪修平氏が主宰するグループに入って勉強もしていた。そんなことにあまり興味のない裕紀子さんは最初、不思議に思ったが、のちにその理由がわかる。大切な3人を自殺で亡くしていたからである。

 1人は、幼いころから可愛がってくれた母方の叔父、2人目は、近所の中学の同級生、3人目は、高校時代、ハードロックバンドを組んでいたときの女子メンバー。

「共通しているのは、3人とも自分もこうなりたいと憧れるような素晴らしい人だったことです。中学の彼女なんかは、ゴキブリを手で逃がしてあげるほどの優しい子だった。そういう人がなんで自ら命を絶たざるをえないのか。“生きる意味って何か”ってことは自然と私の問題意識の中心になりました

 大学を卒業したころ、物書き志望でもあった。しかしそれだけでは納得できず、僧侶になろうかと思い始めていた。そんなときである、母親の智恵子さんが「僧侶募集」と書いた求人広告を持ってきたのは。そこには「経験不問」とある。「お寺に入ればちゃんとするだろう」という智恵子さんの親心なのだが、根本さんにとっては渡りに船だった。

 応募すると見事、採用。勤務したのは、都内にあるペット供養で有名なお寺だった。しかし仕事の合間に本を読むと、厳しい修行のことが書かれていた。自分もそこに身を置きたいという情熱がむくむくと湧いてきた。

 同居していた裕紀子さんを東京にひとり残し、根本さんは先輩僧侶からの情報を頼りに、岐阜県の梅龍寺の門を叩(たた)き、弟子入りを志願する。半年ほど小僧修行した後、厳しい修行で有名な正眼寺(岐阜県)の僧堂に入ることを許される。正眼寺はパナソニックの創業者、松下幸之助氏や野球の王貞治氏なども訪れる著名な寺でもある。

 禅宗では、365日24時間すべてが修行といわれる。朝3時半に起きて、掃除や10升のごはん炊(た)き、薪(まき)を山に取りに行くという修行。日によっては家々を回ってお米や食糧などをいただきにいく托鉢(たくはつ)をしなければならない。すぐにお米をくれる人もいるが、水を撒(ま)かれて帰れと言われることも珍しくない。お腹が減る。幻覚で石が饅頭(まんじゅう)に見えて口にする者もいた。身につけた黒の法衣(ほうえ)は4年もたつと日にやけて薄い青に変色した。夜は座禅や経典の勉強で寝るのは12時を回った。そんな当時の夢は、5時間寝ることだった。

修行中、後輩には「遊びは全力でやれ。遊びで集まってくる人間関係が大事」と話していた
修行中、後輩には「遊びは全力でやれ。遊びで集まってくる人間関係が大事」と話していた

 僧堂で3年後輩の木原大萌さんは、異彩を放つ根本さんの姿をよく覚えている。

「上下関係が厳しいのは修行道場の常ですが、根本さんが理不尽なことをおっしゃることは1度もなかったです。食事を煮炊きする役割を任されても、普通は丁寧に教えてはくれないものです。でも根本さんは、できない人にも、どうしたらわかるかを考えながら、いろいろな方法で、ユーモアも交えて教えていました。相手がわからないのは自分の教え方が悪いのだ、という姿勢でした」