父に教わった“家の見方”と商人魂

 こうした家にまつわる武勇伝を、娘の洋子さん(60)は母が起業するまで、全く聞いたことがなかったという。

「やさしくて、いつもニコニコしていて黙って私たちの話を聞いてくれる人だったので、本当に意外でした。区役所に直談判に行ったなんて、信じられないです(笑)。こんなに積極的で、こんなに前向きな人なんだというのは、初めて知りましたね」

着物もたしなむ京子さん。夫、娘と七五三の記念撮影
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 洋子さんの息子の昌俊さん(30)は少し違った見方をする。洋子さんは30歳を前に離婚して実家に戻った。高校教師として働いていたため、赤ん坊のときから昌俊さんを育てたのは京子さんだ。

祖母は何でもできる能力があるのに抑えつけられている女性だなと感じていました。例えば、僕が友達ともめた話をすると、相手の家庭の事情まで言い当てて、その場しのぎの対処法じゃなく、大局的なアドバイスをしてくれるんです。子ども心に、祖母の言うことは普通の主婦っぽくないな、なんか女城主みたいな人だなと思っていました。祖父が亡くなって、抑えつけていた枷(かせ)がはずれたんじゃないですかね」

 実は、京子さんには商人の血が色濃く流れている。

 京子さんの父は愛知県岡崎市で証券会社を営んでいた。3代続いた婿養子で、4代目も娘ばかり3人。長女の京子さんは父から跡取りの心得を厳しく仕込まれた。株で損をした客が家や別荘を手放すと、小学生の娘を連れて査定や買い取りに行った。

「父には家の見方を教えてもらいました。最初に台所を見ること。カビていないか、排水は悪くないか。床柱にはどんな木材を使っているか。現代では役に立たない知識もありますが、どんな物件も“自分の目で確かめろ”という教えは守っています。最近は間取り図だけ見てすませる方もいますけど」

 父が東京で軍需工場を始めることになり、'42年に一家で上京した。空襲がひどくなり代々木の自宅は焼失。父と2人で拾ってきた材木でバラックを建てた。体調が悪く動けない母を地面の上に毛布を敷いて寝かせた。

 終戦の数日前、京子さんはたったひとりで家を買いに行った。仕事に追われる父に頼まれたのだが、まだ15歳の少女だ。父がかき集めた大金を盗(と)られないようパンツの中に隠し不動産業者を訪ねたが、怪訝な顔をして相手にしてくれない。必死に交渉しているうちに涙が出てきた。

「母を畳の上で死なせてやりたいんです……」

 ボロいが8部屋ある家を買えたと報告すると、父に言われた。

「バカだな。何で値切らないんだ。向こうは疎開したいんだから、1割値切っても売ったよ」