『フォーク界のジュリー』と出会って

デュオで活動した「シュリークス」時代のイルカさんと神部さん
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 女子美では『芸術科生活デザイン教室』に入学した。

 ところが入学早々、転機がやってくる。学食の壁に、フォークソング同好会参加者募集のポスターを見つけたのだ。

「何回か前を通り過ぎたんです。それで“どんな感じなんだろうなあ”と思ってのぞきに行ったら入っちゃった(笑)」

 “イルカ”というニックネームがついたのも、実はこのころ。メンバーが並んで歩くのを後ろから見ていたらギターケースがイルカに見えて「イルカの大群が泳いでいるように見えるね」と言ったことを気に入られて、もうひとつの名となった。

 そんなイルカさんのもとに、運命の出会いがやってくる。コーラスやギターの弾き方を教えようと、早稲田大学のフォークソング・クラブからひとりのコーチがやって来たのだ。

 その人の名こそ神部和夫。

 深夜放送のオールドファンには『カメ吉くん』、フォークファンには『シュリークス』の中心メンバー、音楽ファンには名プロデューサーとして知られ、のちにイルカさんの夫となる人である。

 当時、神部さんは、やわらかな人当たりとボーイソプラノですでに多くのファンの心をつかんでいた。そんな“フォーク界のジュリー”が美大にやって来るのだ! 当然、引く手あまた。神部さんも親切にコーチする。

 ところがイルカさんに限っては“教えることはなにもないですよね?”と素っ気ない。

 ずっと後になって、目の前にいた女の子はこんな繊細な詞を書くこととなる。

♪悲しい顔は誰にでもできる。心に涙を隠したら、花束抱いて空を飛びます いつか見た絵のように♪(ジャスミン&ローズ/40周年記念~イルカセレクトベスト2『ぬけがら』より)

 神部さんは彼女の才能を感じ取り、余計な色をつけたくないと思っていたのだ。

 イルカさんもまた、特別なものを感じていた。

「初めてパッと見たときに、“なんか懐かしい感じがするなあ”と。面白いですね。一瞬にして、“これからずっとこの人と一緒にいるんじゃないか?”と感じましたから」

 出会うべくして出会った2人は自然に距離を縮めていく。「彼から“コンサートをやるんで、ステージの上に飾る『Folk Song』という文字を作ってくれませんか?”と電話がかかってきたのが、個人的に話した最初のきっかけでした」

 コンサート活動をするかたわら、神部さんは夢である音楽プロデューサーを目指して放送局やレコード会社に出入りを始め、着々と将来への布石を打ち始めていた。  

 当時、イルカさんは短大2年の19歳、神部さんが大学5年の22歳。わずか3歳の差とはいえ、考え方も物事のすすめ方も、はるかに大人だった。

 そんな19歳の春、神部さんからこんな言葉を聞く。

“僕と一緒にシュリークスをやっていかないか─?”

 当時のメンバー、山田パンダさんも所太郎さんも独自の道を模索し始めていた時期で、神部さんのその言葉は、新生シュリークスへの勧誘であると当時に、プロポーズの言葉でもあったのだ。

「やっぱり来たな、と(笑)。でも、その場で即答すると軽い女と思われちゃう(笑)。それで2週間後ぐらいかな“もちろん喜んで”と答えました」

 シンガー・ソングライターの南こうせつさんが当時のイルカさんをこう証言する。

「顔も体形も今とホント変わらなくてね(笑)。洋楽が好きだったのかな、その要素を曲作りとか歌うときに取り入れていましたね。新しいものに敏感で、積極的に取り入れていましたね。新しいもの好きだと思いますよ」

 1972年5月1日、21歳と24歳の若い2人は、軽井沢の聖パウロ教会で挙式。

 それは2007年の神部さん死去まで続く、素材とプロデューサー、そして保護者と被保護者ともいうべき、2人の不思議な関係の幕開けでもあった。

1972年、軽井沢聖パウロ教会での結婚式にて