「私を素材としてあげる」

 新婚生活とほぼ同時に、神部さんとイルカさんの新生シュリークスの活動が始まった。

新生「シュリークス」時代のイルカさんと神部さん
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 結婚前の、’71年10月には、東芝から『きみまつと』を発売。2人は声がかかれば日本全国どこへでもコンサートに出かけた。真夏にクーラーもない所で歌ったり、真冬のスキー場で鼻がもげそうになりながら歌うこともあった。 

 そんな最中、神部さんが重大な決断をする。イルカさんのプロデュースに専念するというのだ。もともとプロデューサー志望とはいえ、すでに世間に名が通り、歌もうまい。

「でも彼は言っていましたね。吉田拓郎さんに出会ったときに、“これからは歌がきれいに歌えればいいという時代じゃないと思った”と」

 小柄な身体に少年を思わせるハスキーめの声。ユニークな詞に、音楽の常識を軽々と飛び越える不思議なコード展開を平気で持ってくるイルカさんの才能に、賭けようというのである。

 結婚2年後の’74年、シュリークスは解散し、イルカさんはソロデビューした。

ソロデビュー後のイルカさん

「“神部がソロになってイルカが家庭に入る”。みんなそう思ったんです。そうじゃなくてイルカがソロになると聞いた途端、“えっ、あのドラ声が!?”って(笑)」

 だが、もっとも驚いたのはイルカさん本人であった。

「私は家庭に入って普通の奥さんになりたかった。でも夫は“とんでもない! 自分がプロデューサーとなり、イルカを盛り立ててみせる!”と。それで私も根負けして“そんなに言うなら私を素材としてあげる。売れるもんなら売ってみなさい!”って。ミュージシャンとしての人生を捨ててまで私に賭けようと、そこまで言ってくれるなら私も本望だし、私より私のことがわかっていると思っていたから」

 イルカさんの愛息で、シンガー・ソングライターの神部冬馬さんが言う。

「父がプロデュースしていたときは、“こういう曲を歌ったほうがより多くの人に共感される”というところを重視して曲を作るとか、コンサートの曲のリストを作っていました。母の音楽に必要としているものを、母よりずっとわかっていたと思います」

 以来、音楽の分野でイルカさんがやることといえば、詞を書き、曲をつけ、歌うことのみ。アーティスト・イルカの方向性を決める企画会議にも、本人は出席しなかった。

「結婚してからの1年ぐらいは、買い物に行くというと夫からお金をもらっていました。帰ってくると、ジャラジャラとお金を出して、レシートと一緒に“はい、これ買いました”。ホントに子どもみたいな生活でした」

 その後もずっと、ギャラの額も知らなければ、財布を持つこともなかった。

 往年の大スターのようでもあり、保護者といたいけな子どものようでもある夫婦関係。

 さらに夫は、相当なギャンブラーでもあった。

「結婚して3日目に、徹夜麻雀(マージャン)で帰ってこなかった(笑)」

 後に周囲の人からも心配され、こう言われたことがある。“神部さんが競馬やラスベガスで、ひと晩でどれだけ使っているか知ってる!?”

 だが怒ったこともなければ、疑問に思ったこともない。生活に不自由はなかったし、音楽に専念できるのは、夫あればこそだったからだ。

「私には働いているっていう意識はなかったんです。私は好きな歌を作って歌っている。彼はその間にプロモーションをする。むしろ彼が働いていて、そのお金を使うのは当たり前だと思っていました」

 妻の立場でいえば、麻雀で不在がちな夫は心配の種。だがアーティストとしては別。

「私、曲を作るときに誰かの気配があると絶対に作れない。夫が不在がちであればこそ、“この人となら一緒に暮らせる”と思ったの。結婚して3日目に徹マンしてくるなら、“自由な時間がこれからもいっぱいある。ひゃっほ〜!”って思いましたね」

 さらにはアルバム作りでレコード会社との間に立って守ってくれたのも夫だった。曲のカットや変更などの要望に対しては“それをしたらイルカじゃなくなる”と、何回盾となってくれたことか。

 そんな2人の夫婦仲は、極めてよかった。 

 冬馬さんが2人の私生活を、

「家では全然仕事をしない両親でした。プライベートを大事にしていて、絶えず仲がよかったですね。父が声を荒らげたことなど見たこともないです。かといって2人で音楽を聴いたり、ギターを弾いたりというのも見たことがない」

息子の冬馬さんと家族3人で

 平気で家を空ける夫は、確かに妻のため猛烈に働く人であった。イルカさんの人気を決定的にした’74年の『オールナイトニッポン』のパーソナリティー就任も、神部さんあればこそ。さらにはこの番組での大ブレイクも、神部さんが演出したものであった。

「当時主流だった“DJとして上品にささやきかけるのはイルカのカラーとはいえない”と。どうしようかと考えて、思いっきり叫んでみようか、と」

 水曜の深夜、特製の大エコーとともにラジオから鳴り響く“バッキャロ~!”の大音声。あの『イルカのバカヤローコーナー』の誕生であった。

 以来、番組の人気は右肩上がりのひと言。ついにはリスナーからのハガキがニッポン放送のテーブルからこぼれ落ちるほどになっていく。

 そして1975年、イルカさんはあの不朽の名曲『なごり雪』と出会うこととなる。