夫への感謝、ひとり立ち

 2007年3月21日、20年近くにわたる家族からの献身的な介護の末に、神部和夫さんは亡くなった。

 公私におよぶこれまでの万感の思いを込めて、夫の顔を撫(な)でつつ“ありがとう”を繰り返すイルカさんに応えるかのように、大きく目を開けてはつむることを3回繰り返し、神部さんは旅立っていった。

 同年5月8日、ちょうど四十九日にあたる日に南こうせつさんを発起人代表に『神部和夫さんを送る会』を開催。“僕が死んだら派手に送ってね”との遺言を守り、伊勢正三さんや小田和正さん、杉田二郎さんや谷村新司さんなど、著名アーティスト勢ぞろいという華々しさであった。

 このときのイルカさんを冬馬さんが回想する。

「落ち込んでいたと思いますが、見た目は気丈に振る舞っていましたね。でも本人は、“これで音楽はやめるかもしれない”と思っていたらしい。あとから知って、これには僕もびっくりしました」

 イルカさんが当時を振り返る。

「(夫が)亡くなったときは、もう人前に立って歌うことはできないと自信をなくしてしまって。気持ちの切り替えができたのは“送る会”のおかげです。この会に音楽がないのはありえない。夫が作った歌を、父、息子、孫と、家族みんなで歌おうということになって。それで練習するうちハッとして“私、歌っている”と。でも最近になって気がつきました。これも“プロデューサーの企てだ! のせられた!”って(笑)」

2013年、冬馬さんとイルカファミリーコンサートにて
2013年、冬馬さんとイルカファミリーコンサートにて

 南こうせつさんが会でのイルカさんの様子を振り返る。

「“私も頑張ったし、夫も頑張りました。本当にありがとうございました”そんな温かい挨拶をなさっていました。やれることはやり尽くしたと、悔いを感じさせなかった。本当に胸にくる言葉でしたね」

 生前の神部さんが、ひとり言のようにつぶやいていたことがある。

 “僕はいつイルカを自由にしてあげたらいいんだろう?”

「それを聞くたび、“私はいつだって自由だから”って。 夫が病気になって、私、海外を巡るようになったんです。自分を見つめ直すためにね。あとになって“なんで私ばっかり不自由?”って後悔して夫を責めたら最悪でしょ? 闘病中でも“お父さんが行かせてくれたおかげで幸せ。この幸せをお父さんに返すからね!”とイキイキと言えることが大切だと思ったから。私はずっと自由でした」

 新生・自由なイルカは、介護生活と向き合う葛藤のなかで助走を始めていたのだ。

 齢(よわい)50歳、夫を失って始めて、ギャラの金額も知らなかった彼女が事務所の社長業に乗り出し、スタッフミーティングへも参加を始めた。南こうせつさんも変化を感じていた。

「人間愛とか自然愛とか世界観が、ますます深まったように感じます。それを難しい言葉でなくて、笑顔で表現するのがすごい」

 デビュー45周年のアルバム『惑星日誌』の『人生フルコース』で、自らの人生を振り返りこんな詞を書いている。

♪夫には先立たれたり淋しい日々もあったけど 孫も大きくなりました まだ先は永いこの道は 山あり谷あり 人生フルコース デザートは…これからさぁ!♪

「確かに50代は大変な時期で沈んだけど、還暦過ぎたら世界が広がった。最後によいデザートがあるじゃないかと気づいたんです」

 イルカさんは、そのご褒美の時間を味わうように、チャリティーや表現の世界で、活躍の幅を広げている。

チャリティーコンサートも大事な活動のひとつ
チャリティーコンサートも大事な活動のひとつ

 2004年にIUCN(国際自然保護連合)の親善大使に任命されてからは、手弁当でコンサートを開いては動植物の保護を訴えるほか、震災復旧支援のコンサートもたびたび開催。

 2012年からは、着物のデザインのみならず、手描きや染めも始めた。

 社長業という大役、自分自身のプロデュースも、以前はみんな、夫が担ってくれていたことだ。

 南こうせつさんが、こんな意外な素顔を紹介する。

「コンサートのとき冗談でセーラー服のミニスカートはいて太腿(ふともも)見せて“より自由になってこれから私、恋をするんだ!”なんて言っていました。過去を引きずることなしに、前を向いていくタイプです。あれは見上げたものですよ」

 そしてこんな注文も。

「僕、彼女の大恋愛の歌が聴いてみたい。大人のラブソングを、歌ってほしいなあ」

2018年、音楽番組の司会を南こうせつさんと収録した後、楽屋にて
2018年、音楽番組の司会を南こうせつさんと収録した後、楽屋にて

 人間・イルカは試練を潜(くぐ)り抜け、きれいになった。大人の恋歌を注文されるほどに。

 あのころよりずっと、きれいになった─。

(取材・文/千羽ひとみ 撮影/吉岡竜紀)

せんばひとみ◎ドキュメントから料理、経済まで幅広い分野を手がける。これまでに7歳から105歳までさまざまな年齢と分野の人を取材。「ライターと呼ばれるものの、本当はリスナー。話を聞くのが仕事」が持論。