今でも多くの人が大川小を訪れ手を合わせている

 言い出しっぺは哲也さんだった。震災から3年を過ぎた'14年4月、中学3年になっていた哲也さんはこう述べた。

《大川小はいつも地域の中心だった。学校行事があるたびに地域の人が集まり、地域で盛り上げていた。僕は「ここに生まれて本当に幸せだ」と思っていた。しかし、震災により私たちのふるさと、友だち、先生方、大好きだった地域の方々がたくさん亡くなった。こんな思いを二度と他の人に味わってほしくない》

震災に振り回されそうな自分

 哲也さんの思いが卒業生や地域の人たちを動かした。

「ひとりで大人に話していたときもありますが、批判された。そんなときに大川小学校出身の先輩たちが協力してくれたんです。人前で話すようになると賛同してくれる人も出てきて、間違っていなかったと思いました」

 哲也さんらの頑張りで'16年2月、校舎の保存が決まった。

 今年1月、市は保存のための基本計画案を公表した。ただ、哲也さんは市のやり方に疑問を持つ。

「話し合いがあるというので、僕らの意見を聞いてくれるのかと思ったけど、違った。市側の提案(歩道から校舎が見えないように隠すなど)についてどう思うか、と聞かれただけだった。中3の受験シーズンに僕らは意見を出し、保存が決まった。それから3~4年。その間、市は何をしていたんだろう

 震災から8年がたち、3月11日を意識しなくなったというが、

「中学3年くらいまでは意識していたけど、高校では部活が忙しかったし、特に意識していない。毎年、同じですよ」

 昨年から“語り部”として活動もしている。自身が経験したつらい記憶を話すことで、

「津波の恐ろしさや命の尊さを訴えたい」

 という。震災に対する考え方で同世代と差を感じることもあり、ジレンマも抱えている。

 来年は20歳になる哲也さんは将来について、

「漠然と“身体を張って人を助けたいので警察官になりたい”とは思う。でも、将来のことをちゃんと考える時間がなかった。震災のことから離れて地元を出たい反面、校舎の保存のことがあるので地元にいたい。

 また、ひとり暮らしの経験がないので県外に行きたいという気持ちと、おばあちゃんが元気なうちはそばにいたいという葛藤もある。このままだと震災に振り回されそうになる

 そこには“てっちゃん”と呼ぶにはそぐわない、悩みながらも成長してきた哲也さんの姿があった。