'96年には『発掘!あるある大事典』、'97年には『伊東家の食卓』がスタート。この時期から情報バラエティーと呼ばれるジャンルが増え始め人気を集めるようになり、リアリティー重視、視聴者のマーケティングを意識した番組づくりの傾向は、一定の効果が見られるように。

 そんな中、フジテレビは'97年に本社をお台場へ移転。同年に始まった『踊る大捜査線』の大ヒットもあり、視聴率こそ日テレに後れを取るものの、民放1位の売り上げを誇り続けた。しかし、「フジテレビは、この時代に強烈な成功体験に引きずられて失速したのでは」と、吉野さんは指摘する。

「移転前の河田町時代は、編成、制作、報道などが同じフロアにあり、丁々発止、自由闊達な雰囲気でした。まるで毎日がお祭りです(笑)。だからこそ、フジテレビらしさがあった。ところが移転後は、各部署は分化され、エリート意識だけが強くなった印象です」(吉野さん)

 営業収入がいいことに加え、『あいのり』('99年)、『トリビアの泉』('02年)などのヒットもあったことが、結果として慢心につながったのではないかと推測する。

 '08年のリーマン・ショックがテレビに与えた影響は大きかった。各局とも広告収入が急減、制作費を含めて番組づくりを見直す契機となった。

ネットとの融和性を重視するように

「広告以外の収入を意識するようになり、テレビ番組をコンテンツとして活用していく時代に切り替わりました。放送してただ終わりではなく、映画化やDVD化などを意識して番組をつくる。一方、番組は特別な存在ではなく、数あるコンテンツのひとつに組み込まれていくようになりました」(大場さん)

「冒険的な番組よりも手堅い番組が増えた。豪快にバットをスイングするのではなく、とにかく出塁するというようなテレビづくりが一般的になった。裏を返せば、当たり障りのない番組が増えていったともいえます」(吉野さん)

 そして'11年、決定的な出来事が起こる。東日本大震災によって、SNSをはじめとしたインターネットの即時性や有効性が大々的にフィーチャーされたのだ。

「いよいよネットを無視することができなくなりました。メディアとしての王座の地位は低下し、いかにネットと融和性の高いコンテンツをつくるかを重視するように。

 また、ツイッターの書き込みが番組上で紹介されたり、ユーチューブの動画を転用する番組が増え始めました」(大場さん)

「『逃げるは恥だが役に立つ』('16年)は最たる例ですが、ドラマもツイッター上の口コミを意識してつくられるように。テレビとネットの主従関係が逆転しました」(吉野さん)