私たちの優しいおじいさま

 幼少期から論語を学んでいたため、私利私欲ではなく社会貢献のために経済があるという考え方。社会公共事業についても約600の団体にかかわっている。新5千円札の津田梅子は女性の地位や人権向上に貢献したが、渋沢もしかり。日本女子大学(東京都文京区)の広報担当者は、次のように説明する。

「本学の創立者の女子高等教育に対する熱意に応じて、創立員となり、開校後もさまざまなかたちで援助していただきました。第1回運動会は、北区飛鳥山の渋沢さんの別邸の庭で行いました。あるいは、女子寮も寄贈していただきました」

日本女子大の学生に90歳の誕生日を祝福される渋沢(中央)と兼子夫人=日本電報通信社撮影
日本女子大の学生に90歳の誕生日を祝福される渋沢(中央)と兼子夫人=日本電報通信社撮影
【写真】90歳の誕生日を祝福される、渋沢栄一と兼子夫人

 91歳で第3代校長に就任したが、7か月後、没した。

「本学の学生にとっては“私たちの優しいおじいさまだった”と言われています。このような方が1万円札に選ばれたことは、本学にとっても名誉なことと存じます」(同)

 かつて渋沢邸があった飛鳥山公園には、21年前にオープンした「渋沢資料館」と「旧渋沢庭園」がある。このゴールデンウイークも開館するという。

 千円札では伊藤博文に競り負けたが、日韓併合の前後、大韓帝国で数年間だけ、渋沢の肖像画を用いた紙幣が流通した実績も。

 好きな食べ物は甘いものと脂っこいもの。天ぷらや鰻などを食べた。諭吉より少しふくよかな顔つきなのは、グルメだったからかもしれない。