自分なりの覚悟をして会ったのを覚えています。父を奪ったことは事実ですが大人の事情があり、ひとりの女性として誰かを愛する権利はある。それを非難してはいけないと思うようになっていました

 真由子は、芸能界へ後押しをしてくれたスエさんを慕い当時、流行っていたプリクラを祖母の部屋にもよく貼っていた。しかし、数日して再び祖母の部屋に行くとプリクラは1枚残らずはがされていた。

お葬式のとき、好子さんに初めてお会いしたら、私に分厚いファイルを渡してくれました。そこには、プリクラや雑誌のキリヌキがきれいに整理されていました。“おばあちゃんは、いつもあなたのことを考えていたのよ”と、教えてくれたんです。うれしかった。好子さんも家族なんだと初めて気づきました

 その後、田中さんと真由子は主にメールでのやりとりを続け、毎年の法事では実際に顔を合わせた。しかし、田中さんは約20年にわたる闘病生活の末、この世を去った。

好子さんが亡くなったとき、私の母も泣いていました。母としては、こっちは苦労しているのに向こうは女優さんできれいな服を着て、おいしいものを食べてと思っていた。でも、いろいろな思いがあったけど、死んでしまうと、ただ悲しいと言っていました

 田中さんの死の直後、小達氏が早くも新たな女性と子どもと新生活を過ごしている姿を週刊女性が報じた。

「さすがに父にキレました。電話で“ふざけんなよ! 病気の好子さんまで泣かしたのか!”と怒鳴りました。しばらくして、父から電話がきて、“好子はお前のことを心配していて、自分が芸能界の母親になってあげたいって言っていたんだよ”と。  

 好子さんは、自分ができないことを引き継いでほしいと思っていたようなんです。その思いを引き継いでいくことは、この家に生まれた以上、やらねばいけないことだな、と。許せない存在だった好子さんを、許せるようになっていました

 彼女は現在、歌手として活動中。大先輩の田中さんも天国から応援しているはず。