お坊さんになりたくない、2週間で退学

 松島さんの母親の実家は、安養寺だった。両親の離婚をきっかけに、松島さんが小学校に入学するタイミングで寺に戻ってきた。

「私も母子家庭で育ったんです。両親もいろいろあったんでしょうね。そこから寺での生活が始まりました」

 当時の住職は祖父だった。

「お勤めもおじいちゃんと一緒に、衣着せられてやってました。鐘や太鼓を叩いたり、むにゃむにゃ言ってみたりね。よく意味もわからず楽しく過ごしてました。檀家さんも“偉いね”と言って僕にもお布施をくれたりしました」

 ところがしばらくすると、松島少年は周囲が自分に過剰な期待を寄せていることに気づき始めた。

─将来、お坊さんになるんだよ。

「祖父や母、学校の先生までがそう言う。100人が100人そういう話しかしない。逆にお坊さんって何をする人なの? なんて聞いても誰もちゃんと答えてくれない。それでも、お坊さんになれと言う。その理不尽さがすごい嫌でした。だんだん、お勤めもお参りも行かなくなった」

 小学、中学と奈良の公立の学校で過ごし、高校は浄土宗の上宮高校に入学。

「あまり深く考えずに、流されて進学してしまった。入学してみたら、お坊さんになることを期待された人ばかりで“このままじゃ本当にお坊さんになってしまう”と思って2週間で退学しました。この時点で“もう、どうでもええわ”と人生投げ出したような感じだった。でも、自分で自分の生き方を選んでいこうと気持ちを切り替えたんです」

 高校を退学して半年後、昼間は塾で特別に授業を受け、夕方からは1歳年下の中学生と一緒に塾の授業を受ける生活を送った。深夜まで起きている松島さんが熱中したのが深夜番組の「お笑い」だった。

「当時、ダウンタウンや笑福亭鶴瓶さんの番組をよく見てました。あのとき落ち込んだ自分を『お笑い』が救ってくれました」

 翌年、普通高校に進学。お笑いが好きだった友人と漫才に明け暮れた時期もある。

「学校批判とか教師を皮肉ったり、社会のおかしなことをコントにして、文化祭で発表していました。自分以上にしんどい思いをしている人が笑えるようになればいいな、なんて思っていました」

 高校卒業後は浪人生活。あるとき、東京に行けば「奈良から離れられる」と思い、猛烈に勉強するようになった。