「ぐああああああぁぁぁ」

 ふいに足の裏を襲った鋭い痛みに、漫画家の守村大さん(60)は大声をあげた。ここは福島県白河市の山中。イチから開墾しようと1万2000坪の山を購入した守村さん、自ら刈り込んだ篠竹の先端を踏みぬいてしまったのだ。竹は靴を貫通しており足は痛むが、周囲は木々が生い茂り、右も左もわからない。「ヘタに動きまわったら遭難(!)するぞ」と、その日は相棒の大型犬・ニューファンドランドのヒメと野宿を決め込んだ。

自分の「好き」にまみれた生活

 守村さんが「自給自足の生活ってのも面白そうだな」と、この地に飛び込んだ2005年のことだ。無謀にも鎌1本で山に入り、人力じゃ埒(らち)があかないとチェーンソーやユンボを購入。1年以上かけて、クリやコナラが密生した雑木林を整地した。

 次に60本の丸太を購入し、材と皮がみっちり張りついた冬刈りの丸太(春刈りの木は水を吸い上げていてカビやすい)を1本2時間かけて剥(む)いていく。丸太を積み上げ、屋根をかけ……。いちばん、大変だった作業は?

「ないなぁ。それまでずっと机の上で嘘ばっか描いてたわけじゃない。それがユンボの扱いを覚えて、木の根を掘り返して、1分の1スケールのものを造ろうとするんだから、楽しくないわけがない。自分のなかに沈殿していたものが流れ出て、新たな自分が循環していく感覚だったよ」

 東北新幹線・新白河駅から車で10分の山中に入植して2年、ついに丸太小屋が完成する。気がつけば、身長167センチで80キロあった体重が58キロになっていた。

「うろ覚えの知識で造り始めたものが、少しずつ家らしくなっていく。完成したときは、“もしかしたら俺、なんでもできるんじゃねーの?”って無敵状態だったよ」

 やがて、山にはかまどに燻製器、自給自足を支える鶏小屋が建ち、畑も出現。さらには、北欧式サウナまで! お伺いしたご自宅で出会った守村さんは、ニッカーボッカーに地下足袋姿。小麦色の肌に腕の筋肉も隆々。片手でひょいと持ち上げたチェーンソーが実によく似合う。

「この林道も薪を出すために自分で引っ張ってよ。あ! この間、木を切ったところにもう芽が伸びてる。萌芽更新ってわかる?」

 切り株の根元から伸びた若芽を指さし、うれしそうな守村さん。心底、この暮らしを楽しんでいるのが伝わってくる。作業小屋に吊り下げられたカヌーや竹竿は工芸品のように優美で、その器用さにも驚く。それにしても、これほど自分の「好き」にまみれている人はいないのではないだろうか。

 守村さんの本業は漫画だ。新白河に移住する前は、所沢で苛酷な週刊連載をこなし、『万歳ハイウェイ』『あいしてる』『考える犬』といった作品を生み出していた。

「あのころは1週間の睡眠時間が10時間に満たなかった。布団に入るのは週1で、机で落ちてるなんてこともザラ。俺がうまく描けないのが悪いんだけどね。そんな暮らしを10年ほど続けたのかな」

 守村さんを20代のころから見守ってきた妻、キミさんは、「漫画家ってそんなものなのかな」と思っていたそうで、執筆スタイルに水を差すことはなかった。

「しんちゃんは職人気質なんです。本物の職人さんって、人が見ないようなところでも納得いくまでこだわり抜いて、仕上げるじゃないですか」