東海林のり子イエスの法則

 当時、東海林さんと同じ思いを抱き始めていたという藤田さんも言う。

「スタジオにコメンテーターの方が入るようになって、次第に現場無視のコメンテーターショーになっていったんですね」

 60歳のとき、東海林さんはやりきったという思いとともに取材の現場から退く決意をする。

 その後、テレビ朝日系の『パワーワイド』のメイン司会に抜擢され、『ワイド!スクランブル』にはコメンテーターとして出演した。

「スタジオで伝える側になって、どう現場に思いをはせてコメントしようかといつも考えていました」

 ニッポン放送を退職して以来、50年以上フリーランスとして現役を続けてきた。そのゆえんとは何か。

「東海林のり子イエスの法則というのがあって、“私、こういうのはできません”と言ったことはなかったんです。基本的に“ああ、いいですね”で受ける。せっかく声をかけてくれたのに断っちゃいけないと思っていたのね。だから細々とつながってきたのかな」

 自分の中で区切りがついたときはスッパリと閉じる。また別の展開があると信じて、新しいことにも躊躇なく飛び込んでいったという。

 そうした革新的ともいえる精神でX JAPANやLUNA SEA、GLAYといったビジュアル系バンドを取材し、やがて日本のロック全般に造詣を深め、メンバーやファンから「ロックの母」と慕われるようにもなった。

 当時XだったX JAPANと引き合わせた立役者、フリーのディレクター、中野義則さん(58)が語る。

ワイドショーをよく見ていたXのToshIが東海林さんのファンになって、'91年にラジオのゲストに呼んだんです。東海林さんがビジュアル系にひかれていったのは若者への好奇心からだと思いますよ。見た目は近寄りがたいけど、話してみるとすごく純粋な彼らと偏見なく話をしたから、みんなにも慕われるようになったんだと思います」

 東海林さんはインディーズバンドとも交流を持ち、今もロック好きな亜紀さんといろいろなライブに行っては、活力をもらっているそうだ。

「元気の秘訣は医者に行かないこと」と公言し、まだまだやりたいことがあると顔を輝かせる。

「これからはもうちょっと興奮するようなことをやっていかないといけないなと。しゃべることは続けていきたいので、講談に挑戦して、オリジナルの事件ものとか語りたいなと思っています。

 解決してない事件とか気になっていることがたくさんあるんですよ。たぶん、ほんのちょっとはまだ現場に行きたいと思っているのね。サッサと動けもしないのにね!」

 何千何万の人に会い、その生きざまを見てきた東海林さんだからこそ語れる講談があるはずだ。その話に耳を傾けたい。いつも良識を胸に取材現場に立っていた“ザ・リポーター”東海林のり子さんは、人生を面白がって転がり続けるロックなハートの持ち主だった。


取材・文/森きわこ(もりきわこ)◎ライター。東京都出身。人物取材、ドキュメンタリーを中心に各種メディアで執筆。13年間の専業主婦生活の後、コンサルティング会社などで働く。社会人2人の母。好きな言葉は、「やり直しのきく人生」