芸能人の葬儀取材

 たびたび芸能人の葬儀も取材した。「葬式リポーター」と表現されたこともある。

「芸能はスキャンダルとかあまりやってなかったんですけど。葬儀はある程度の年代じゃないとダメということで、私のところに来たんです」

俳優・石原裕次郎が亡くなったとき、葬儀が行われた総持寺にて、まき子夫人の囲み取材
俳優・石原裕次郎が亡くなったとき、葬儀が行われた総持寺にて、まき子夫人の囲み取材
【写真】交流のあったX JAPANのhideさんと思い出のツーショットほか

 葬儀は故人の最後の舞台になるので、できるだけその人が浮かび上がるように伝えたいと思っていた。有名な俳優でも弔問客が少なかったり、端役でも大勢の人が集まったり、数だけの話ではないが、結局、最後に人柄が表れるものだと感じたという。

「歌手のディック・ミネさんの葬儀では、腹違いの息子さんたちがパーッと6、7人並んで、すごく仲よくしてらして感動しましたね。ミネさんは遊び人みたいに言われてましたけど、お父さんを中心にまとまっていたんでしょうね。

 俳優の若山富三郎さんのときは弟の勝新太郎さんが徹夜して探したという富三郎さんの傑作の三味線を流して、最後の挨拶では隠し子といわれた息子さんをいちばん上に立たせてあげたりして、いいことするなと思いました

 葬儀の取材でよく居合わせたという元芸能リポーター、藤田恵子さん(68)が東海林さんの取材姿勢について語る。

「私たちは弔問客にインタビューするためにずっと外で待つことになるんですが、東海林さんはくたびれたとか足が痛いとか一切言いませんでしたね。カメラマンにすすめられた脚立にも絶対、腰かけませんでしたよ」

 自分の意に反するやり方では取材しないというこだわりもあったという。

「芸能人の自宅へ取材に行くときも、ここでお話ししてよろしいですか? と聞いてからマイクを向けていました。その基本的なところが私も一致していたから、今も仲よしなんだと思います。謙虚でやさしい人ですよ。でも芯が強いから、誰に対してもやさしくなれるんでしょうね」

 '95年1月に発生した阪神・淡路大震災のときは、その日のうちに現場に入り、長田地区の避難所へ向かった。

阪神・淡路大震災が発生したときは当日に現地に入り取材、すさまじい光景を眼前にした
阪神・淡路大震災が発生したときは当日に現地に入り取材、すさまじい光景を眼前にした

「月明かりが照らす中、誰もしゃべっていなくて、静まりかえっていました。大きな余震を経験した後、ようやくしゃべってくれる人が現れたんです。同じ経験をしてない人間に突然聞かれても何も話したくないという気持ちがあったと思いますよ」

 現地で取材を続ける中、憔悴しきった人々の様子を目の当たりにした。スタジオからは「もうちょっと困ったこととかないんですか?」「ミルクが足らない、毛布が欲しいというような絵柄が欲しい」といった要望が届いた。

テレビなので大変で苦しんでいるという様子を何とか画面に出したいというのがあったんでしょうけど、実際には現地はへたばっていたんですよ。腹が立って、“みなさん寝てないんで、寝たいと思ってると思いますよ”と言いました。スタジオとの温度差を感じ、やはり現場メインでやってくれないとダメだと思うようになりました