19歳で結婚し女の子を出産した。夫は自営で塗装の仕事をしていた。会ってすぐ意気投合したのだが夫の浮気が絶えず、23歳で離婚した。

 母に甘えたくなかったので、実家には戻らなかった。夜は子どものそばにいるため、水商売もしないと決めた。

 だが、中卒で、しかも地元で有名人のすえこさんは、面接で落とされてしまう。伝手を頼って仕事を見つけた。運送会社の事務員、弁当の配達、コンビニ……。懸命に働き、ひとりで娘を育てた。

 2度目の結婚は27歳のときだ。夫は18歳年上で新聞販売店を経営していた。夫にも娘が1人おり、いつも子連れでデートした。

 長男が生まれてまもなく、夫が保証人になっていた知人の会社が倒産。従業員の横領などが続き、借金が膨れ上がった。北海道、千葉県と移り住んで借金を返した。次男が生まれ、東京都調布市で新聞販売店を始める。すえこさんは4人の母として忙しい毎日を送った。

 自伝『紫の青春~恋と喧嘩と特攻服~』を出版したのは2008年。すえこさんは32歳、末っ子が2歳だった。

 すすめたのは10数年ぶりに再会した比嘉さんだ。

「自分の作った雑誌が原因で妬まれて、リンチをくらってやめさせられたと聞いて、すごくショックでした。会ったときに“悪いことした”と謝ったら、すえこちゃんは“全然気にしていないよ”と。だったら、そういうことも含めて書いてみないかと」

総長として雑誌の取材を受ける15歳のすえこさん
総長として雑誌の取材を受ける15歳のすえこさん
【写真】15歳で特攻服、レディースの総長時代のすえこさん

過去をオープンにしたら楽になった

 それまでは過去を封印していた。長男が通う幼稚園のママ友に「いいお母さんね」とほめられるたび、過去を隠していることに胸が痛んだ。娘たちに相談すると「今をちゃんと生きていればいいんじゃない」と言われ、決心した。

「本を読んだママ友たちも、運動会の親子競技で“総長頑張れー!”と(笑)。過去は消せないから、オープンにしたらすごく楽になりました」

 出版からまもなく津富さんから誘われ、『セカンドチャンス!』に参加した。発足時は、少年院出院者が10人弱。支援者も含めて20人ほどの仲間がいた。

 2011年には自伝をもとにした映画『ハードライフ~紫の青春・恋と喧嘩と特攻服~』が公開された。その映画を配給した会社の社長が、すえこさんが映画を作るとき製作に協力してくれた。

 次男が小学校に上がるタイミングで、借金を重ねる夫と離婚した。長女は独立し、すえこさんは3人の子どもと横浜市に転居。学童保育で働きながら、「学歴がないまま働いてずっと大変だったから」と高校卒業程度認定試験にチャレンジし、合格した。