《恥の多い生涯を送って来ました》

 忙殺の日々から逃れ、津軽藩の歴史のにほひが幽(かす)かに残つてゐる景色を眺めていると─、思わず太宰治のようなことをつぶやいてしまった。

 それもそのはず、ここは青森県南津軽郡大鰐町にある「ヤマニ仙遊館」。太宰が20歳のときに初めて自殺未遂を起こした後、母・タ子(たね)とともに静養した旅館だ。彼はここで何を思ったのだろう……と、若き日の太宰をなぞることができるとあって、多くのファンが訪れるスポットなのだ。

太宰が母と訪れ静養した大鰐温泉

「太宰が静養した部屋は“菊の間”か“藤の間”と伝わっています」と教えてくれたのは、5代目当主の菊池啓介さん。かつてはセレブご贔屓(ひいき)の湯治場だった大鰐温泉には、大地主だった(太宰の)津島家も足繁く通っていた。太宰もまたここに愛着を覚えていたことが、自伝的小説と言われる『津軽』から見てとれる。

《やはり浅虫のやうに都会の残杯冷炙に宿酔してあれてゐる感じがするであらうか。(中略)大鰐温泉は都会の残瀝をすすり悪酔ひするなどの事はあるまいと私は思ひ込んでゐたいのである》

 太宰は、同じく青森県を代表する浅虫温泉を当時「都会的で悪酔いする」と評する一方で、津軽の風情が残る大鰐温泉には親しみと郷愁を綴(つづ)っている。

「自殺未遂時、金木町長だった彼の兄・津島文治がトップ当選で県議になっていた事情もあって、家庭内外は慌ただしかったようです。そういう状況下にあって、お母さんが当館へ電話をかけてきたそう」(菊池さん、以下同)

太宰が泊まったという部屋。ゴロンと寝転ぶもよし

 世間体もあったのだろう。複雑な家庭事情が太宰を“こじらせ男子”にさせていったのかもしれない。さぞ意気消沈していたかと思いきや、そうとも言い切れないらしい。

「太宰は、結果的に生まれて初めて母と2人きりのお正月を迎えられることで、心を弾ませていたとも。元気な姿を見せることが、親孝行になると考えていたようです」

 自分で騒動を起こしながらも実はウキウキしていたなんて、さすが人間失格! ヤマニ仙遊館は酸いも甘いも噛み分けた、まごうことなき太宰の青春の1ページなのだ。