11月1日午前8時ごろ、孝之さんは、書いた手紙を担任教諭に手渡した。昼休みには、生徒指導部から聞き取りがなされた。午後3時過ぎ、加害生徒に対して聴き取りと指導がされたが、その後も、「あだ名」で呼ぶことは繰り返された。この日、こんなやりとりがあった。

 担任「親に知らせていいか?」

 孝之さん「家には知らせないでほしい」

 このため、担任は保護者には伝えなかった。形式的な対応に父親は憤りを隠さない。

「息子はよほどなんとかしたかったんだと思います。最終的に3回も相談をしているのだから、子どもが親に言ってほしくなくても、担任は親に“様子がおかしい”“悩んでいるようだ”などと言ってもよかったはずです。命に関わることは守秘義務とは別問題です」(正さん)

 11日、孝之さんは担任に3度目の相談をした。加害生徒から「死ね」と言われたと思ったからだ。しかし加害生徒は認めなかったため、担任は一般的な指導をしただけだった。

「精神的に参っていたので机に伏せていました。そのとき、近くで2人が“死ね”などと言ったといいます。息子は自分に言われたと感じたようです。加害生徒は指導後に謝罪しましたが、息子は、(“死ね”という言葉は自分に対してではなく)2人が言い合っていただけ、というヒアリング結果を知りませんでした」(正さん)

 このときは「ネットいじめ」ではないが、疑心暗鬼になっていたのか、あるいは、自殺へ向かう前段階の視野狭窄になっていたのかもしれない。

遺書に書かれていた最後の言葉

 2日後の13日、孝之さんは自殺に関連する情報を、iPod touchを使ってインターネット検索していた。

 15日の保健体育の授業では「ストレス」に関する説明があり、副読本にある「日常的なストレス」を書く欄に、「クラスで嫌われていると感じ」などと書いた。しかし、学校側に気づかれることはなかった。

 21日早朝、線路に向かって行き、電車にひかれた。午前6時半ごろ、両親は孝之さんがいないことに気がつく。靴はあるものの、部屋にはいない。学校に電話したが、母親が机の上に遺書が置かれているのを見つけた。いじめられていたことのほか、最後はこう書いてあった。

〈もうずっと何週間も学校にいるだけで時々泣きたくなり、寝ているフリをして涙を流していました。9月中旬から今に至るまでの平日は生き地獄のような毎日でした。もう生きたくはありません〉