泰晴さんは翌25日、伊勢署に捜索願を出した。それから10か月後の翌年9月、三重県警は、紀子さんが事件に巻き込まれた可能性があるとみて、情報提供を呼びかける公開手配に踏み切った。

 以来、これまでに捜査員のべ約3万1900人が投入され、88件の情報が寄せられたが、有力な手がかりは得られていない。

好奇心旺盛で旅好き

 鶏を小脇に抱え、屈託ない笑みを浮かべる少年たち、たらいの中で水浴びする小さな子ども、物憂げな瞳で何かを訴えかける少女……。いずれも紀子さんが、学生時代に放浪したアジアの国々で撮影した写真だ。事件発生後しばらくしてから、これらの写真を集めた写真展が、東京、大阪、伊勢などで開かれた。

 ジャーナリストを志望していた紀子さんは、立命館大学法学部時代、タイやミャンマー、バングラデシュなどの国境地帯や難民キャンプを訪問し、そこで出会った子どもたちを被写体に、シャッターを切り続けてきた。

 大学卒業後は地元に帰って雑誌記者として就職。三重県内を飛び回り、自然と遊ぶ、手作り家具などをテーマにした特集記事を担当した。失踪直前は、世界遺産に指定された熊野古道を取り上げることになり、張り切っていたという。

 そんな彼女について当時の編集長は、写真展の冊子に寄せた手記で、こう振り返る。

《知的好奇心に満ちていた辻出紀子は、公私ともに忙しそうだったが、連休が取れると、ひょいと大好きなタイへ出かけていく》

 行方不明の前日も、紀子さんは旅先のタイから帰国したばかりだった。

 見つかった車のトランクには、タイで買った土産、英会話のテキスト、寝袋などが入っていたが、紀子さんのショルダーバッグはなくなっていた。

 美千代さんは、自宅に残された名刺入れを頼りに、取材先や友人、知人ら100人以上に電話をかけ、紀子さんの居場所を尋ねた。テレビ番組にも出演し、超能力を持つ外国人捜査官や振り子を使った「ダウジング」の日本人の専門家に捜索を依頼した。警察に重機で林の一角を掘り起こしてもらったこともあるが、いずれも有力な手がかりはなく、出てきたのはせいぜい亀の甲羅ぐらい。美千代さんが述懐する。

「そんなことしてもどうにもならないのはわかっていましたが、じっとしていられなかったんです。何かしないと自分の気がすまない。むなしいかもしれませんが、そうやる以外に方法がなかった」

 7年前からは夫婦で四国お遍路や西国三十三所を回り昨年11月にすべて回り終えた。

辻出さん夫妻が毎年配っているチラシ