エンディングノートのカギは、「どれだけ自分のことを伝えられるかだ」と、赤川さんは言う。

「自分の生い立ちや、すごく好きなこと、苦い思い出などを暇な折に書くか、家族が聞いて綴っておけば、親が認知症になったときに、“こういうのが好みだったんだ”とか、環境を整える判断基準になります。すると、症状が進んでも笑顔でいられるのです。

 “家族ならおもんぱかれ”とは言っても、今はスマホが普及した影響などで、親の背中を見て育つ時代ではないから、家族でも把握していないことのほうが多いのです。知らなければ、認知症になったときに家族の基準で決められていきます」

“記憶が10分ともたない女性”に起きた奇跡

 認知症の症状が進んだある高齢の女性がいた。もの忘れが激しく記憶が10分ともたない。でも、いろいろ話を聞いていると、子ども時代に過ごした実家の話がたびたび出てくる。田舎の地主の家だから、人力車に乗せられて女学校に通ったことなど、はっきりと覚えているのだ。

 そこで、なんとか自分が生まれ育った実家に行けないだろうかと施設側と相談し、介護職など数人が同行して行くことになった。よほどうれしかったのだろう。実家で過ごした数時間は終始、笑顔だった。施設に戻って翌日の朝起きてくると、「昨日は楽しかったわね」と言ったので、同行した介護職の人たちは、「えっ!?」と腰を抜かすほど驚いた。10分どころか、24時間前のことを覚えていたのだ。

 このように、思い出の場所や好きなものを知っていれば、認知症になったときに介護を楽にする手がかりとなる。  また、親の嫌いなことを分かっておけば、それを避けることで“問題行動”を起こさない可能性も高い。それが逆だと、認知症の人は忍耐を強いられ、やがて閾値を超えれば暴行にもつながる。

 エンディングノートで、何が快適か、何が不快かを伝えるだけで、たとえ認知症になっても本人は楽に過ごせるし、家族の介護負担も軽くなる。本人のことを知らないから、介護が地獄になるのである。

奥野修司著『なぜか笑顔になれる認知症介護』(講談社ビーシー刊) ※画像をクリックするとアマゾンの商品紹介ページにジャンプします
【写真】'15年に認知症の闘病中だと公表された大山のぶ代さんと夫の故・砂川啓介さん

【PROFILE】
奥野修司 ◎ノンフィクション作家。'78年から南米で日系移民を調査し、帰国後はフリージャーナリストとして活躍。'98年、「28年前の『酒鬼薔薇』は今」で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」を受賞。『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で'05年に講談社ノンフイクション賞を、'06年には大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『ねじれた絆』『心にナイフをしのばせて』『ゆかいな認知症』など著作多数。