「このままじゃ廃人になるよ」

 時代がアナログからデジタルに移行し始めると、堺さんの仕事に陰りが見え始める。徐々に依頼は減っていき、それに反して、酒量は際限なく増していく。

「酎ハイの空き缶が山積みになっている部屋で、デザインの作業をしようとするんだけど、身も心もつらい。泣きながら飲んでいるばかりで、徐々に仕事にならなくなっていきました」

 飲み方がおかしいと指摘され、友人たちは離れていき、仕事の取引先にも不義理を重ね、顔向けができない。最初は酒を隠すなどしていた妻も「冷めきった」と突き放す。すべてに見放された。そう思った堺さんは「助けてほしい」と自らアルコール依存症の専門治療病棟がある、都内の精神科病院へ入院する。医師からは「このままじゃ廃人になるよ」と宣告された。

 3か月間の入院中、アルコール依存症の自助グループという存在を知った。病院の治療プログラムに組み込まれていたのだ。

「自助グループでは自分の弱さをさらして、過去のどんなときに酒が必要だったのかを徹底して話す。そうするうちに、親自身ができもしない要求を子どもに課す“堺家の伝統”に苦しめられてきたこと、家族問題と飲酒が密接な関係にあることに気づかされました」

 家の伝統に苦しめられてきたのは、堺さんだけではなかった。母親も祖父も晩年、アルコール依存症に陥り、苦しみながら亡くなった。体面を気にして家の外へSOSが出せず、相談できない、「堺家の伝統」が災いしたと思っている。

 酒をやめて19年、堺さんは、いまの自分をタンポポになぞらえる。

「タンポポにはタンポポのよさがある。その力を自然な状態で発揮できるのがいいに決まっている。なのにいろんな条件をつけて、バラやユリにならないといけないと刷り込まれてきた。無理強いには痛みが伴います。その痛みを麻痺させるために、僕にはあれほど酒が必要だったんです