また、息子が炎鵬と同級生の長井さんは「うちの子と一緒に運動会のリレー選手に選ばれていたんですが、友哉は『絶対に負けんぞ』という顔つきで、すごく印象に残っています。放課後になると近所の用水路でじゃぶじゃぶ遊んでいましたね。由美ちゃんいわく『すっぽんぽんで帰ってきたわー』って」と、ワンパクで元気溌剌(はつらつ)、明るくすくすく育ってきた炎鵬が見えてくる。そして、やっぱり、そんな炎鵬を見守る、みなさんの優しい目を感じる。

炎鵬のお兄ちゃんだからできること

 炎鵬自身は、こうしたみなさんの応援、知ってるのかな?

「小さいころはすべてが当たり前だと思っていてわからなかったけど、友哉がプロに入ってから僕自身も恵まれた環境や、力になってくれる人がこんなにもいるのか、と改めてわかりました。もちろん、友哉もわかっていますよ」

 断言してくれたのは、やはり国技館に応援に来た、炎鵬の兄・文哉さん。もともと、炎鵬より先に相撲を始めた文哉さんはいま、地元で働きながら弟の活躍を見守る。

相撲大会で。前列右から2人目が炎鵬、後列右から4人目が兄の文哉さん
相撲大会で。前列右から2人目が炎鵬、後列右から4人目が兄の文哉さん
【写真】小学生時代の可愛すぎる炎鵬

「友哉とは相撲の型が似ていて、自分も左差しで顔が左に出るクセとか、右の使い方も全部同じなんで、見ていると状況とか気持ちがわかります。なので、ちょっとでも力になればいいなと思って、気づいたことは言ってあげるようにしています。

 調子が悪くて負けがこんだりしてくると、内容が消極的になってる! とかキレたメールをあえて送ります。先場所の千代丸関にしょうもなく負けたときには『三役になりますとかテレビで言ってるけど、口だけカッコいいこと言ってんな』って送ったら、内容も変わったんで。まぁ、単にうぜぇ兄貴だなと思ってると思いますけど(と、ここでお母さんが『そうそう、思っとるわ』とチャチャを入れてきた。笑)。でも15日間終わってから、ああしておけばよかったなんてのはしょうもない話なので、ちょっとでもできることはやろうって

 金沢の応援団、最強の応援監督はお兄ちゃんってわけだ。

「プロに入って別人のように身体つきとか変わって、一戦一戦必死こいてやってる姿を見てると、ああ、自分らも頑張らんなんなぁ(頑張らないとなぁ)って思います。僕の同級生も友哉を応援してくれてて、『やるときはやらんな(やるときはやる)』って言って、みんなで刺激をもらってますから」

 小さいときから、ず~っと応援して見守ってくれている家族と地域の人たち。それにひたすら相撲で応える炎鵬。この流れがずっとずっと続くことを祈りたい。お母さんの由美子さんは「少しでも長く相撲を取っていてほしい。そしていろいろなところで仲間を、チームを、自分でも作っていって」と願っている。


和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。