デビューアルバム発売後、国内をはじめ海外でのコンサート活動も増え始めていた。

 その間にも発声法の研究は続け、収入源のひとつとして、29歳でボイストレーニングの教室も開いた。

 ある日、レッスンをしていた生徒に言われた。

「堀澤さんのボイトレの教え方と、私が習っている古武術と大きな共通点があるんです。私の古武術の師匠に会ってみませんか?」

 これが古武術との初めての出会いだった。師匠の教えは堀澤の心の支えとなり、取り組んできたボイトレにも大きく影響を与えた。

7月から新たにInterFM897で堀澤麻衣子のレギュラー番組「Serendipity」がスタート。渡米で夢をつかんだ堀澤が、ゲストとのトークを交え、よりよい人生をつかむヒントや生活を豊かにする知恵を届ける。番組では毎回、堀澤のスペシャルライブも聴けるという
7月から新たにInterFM897で堀澤麻衣子のレギュラー番組「Serendipity」がスタート。渡米で夢をつかんだ堀澤が、ゲストとのトークを交え、よりよい人生をつかむヒントや生活を豊かにする知恵を届ける。番組では毎回、堀澤のスペシャルライブも聴けるという
【写真】19歳から始めた小児病棟でのコンサートの様子

 古武術では、緊張を取り除き、身体の隅々まで酸素を行き渡らせる「丹田式呼吸法」が知られている。丹田とは、ヘソの少し下のあたりで下腹の内部にあり、気力が集まるところだ。

 この呼吸法や古武術ストレッチをボイトレに取り入れ、声と心の関係を体系化した世界初のボイトレ、『堀澤メソッド』がここに完成した。

 スクールの運営に本格的に乗り出す一方で、歌手として諦めきれない夢もあった。

無謀な渡米もむなしく2度撃沈

 インディーズではなくメジャーデビューをしたい─。

 通常、CDなどがメジャーレーベルで発売される場合、レコード会社が資金を出して制作する。原盤権(音楽を録音、編集して完成した音源に対する権利)はレコード会社が所有し、作詞作曲者や歌手は印税という形で利益を得る。しかし、堀澤は自分で制作費を出して原盤権を得る道を選びたかった。

「レコード会社に依存するのではなく、自分でやることにこだわりたかった。資金はかかってもそちらのほうが結果的に得だと判断したんです」

 夢を叶えるため、目指したのはアメリカだった。

「世界で活躍するプロデューサーと一緒に音楽を作れば、日本でもメジャーデビューできるはずだと思ったのです」

 最初の渡米は、'02年7月。ニューヨーク到着後まもなく、レコーディングしてくれるプロデューサーを探そうと音楽関係会社の電話帳を買い、片言の英語で電話をかけまくった。

 すると、ニューヨークには音楽プロデューサーがほとんどいないことが発覚。レコーディングの多くはロサンゼルスで行われていたのだ。そんな基礎的なことさえ知らずに飛び込んだ自分にあきれた。

 '06年、リベンジを誓い、再び渡米。このときは最初からロサンゼルスに向かい、1か月ほど滞在した。前回の失敗を踏まえ、事前に音楽関係者に宣材資料をメールで送った。すると帰国直前、あのシンディ・ローパーのプロデューサーから連絡があった。

 面会当日、彼は言った。

「あなたのCD聴きました。よかったよ。僕は一緒に作りたいと思ったんだけど、君は歌で何を伝えたいんだ?」

「私は歌で世界平和を伝えたい。戦争が嫌だからみんなの心が元気になるようなメッセージを伝えたいんです」

 堀澤は、幼少時代に父に連れられて見た原爆のドキュメンタリー映画が忘れられなかった。そのとき、幼心に(人を傷つける側ではなく、救う側になりたい)と思ったのだ。

 問題は予算である。世界的プロデューサーはアルバム1枚作るのに2000万円必要だと言い切った。

「桁が違いました。スクールもまだ軌道に乗らないし、そんな金額、絶対に貯められない。私がメジャーデビューするのは一生、無理かもしれないと思いましたね」

 堀澤は途方に暮れて帰国したのだった。