いい出会いは、いい芽が出る

 松村さんの芸能界デビューのきっかけは、九州産業大学在学中『発表!日本ものまね大賞』に出場して、グランプリに輝いたこと。それから片岡鶴太郎さんに見出され、夢に見た芸能界に足を踏み入れた。

──大学を中退してまで芸能界に入ることに、ご両親は反対しませんでしたか?

高校時代から小さめのジャブを打ってたといいますか、家族で食卓を囲むときはいつも『タレントになりたい』と言い続けてましたので、親としては覚悟していたと思います。でも、『お前がなれるか』とは言われてましたけど(笑)。

 なので、最終的に行くってなったときは親の許可だけは得ようと思って、当時、大学生でひとり暮らしをしていたので、公衆電話から実家に電話を入れました。そうしたら、母親が出まして、『そんなもんで飯が食えるわけがない!』と猛反対されたんですよね。

 僕としては、鶴太郎さんから声をかけていただいたっていうこともあって、行きたい気持ちはあったんですけど、父親に反対されたら諦めようと思ってました。最終的には『「もう好きにしろ」ってお父ちゃんが言いよるよ』と言われて、無事上京することができました

「父親に反対されたら諦めようと思ってました」(撮影/吉岡竜紀)
「父親に反対されたら諦めようと思ってました」(撮影/吉岡竜紀)
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──東京での生活は大変でしたか?

「ショーパブでアルバイトをしたり、営業も入れていただいてましたし、事務所の寮があって住むところも困らなかったんですよね。お給料も少ないながらいただいてましたんで、今の芸人さんと比べたらはるかにいい生活ができてたと思います。同じ事務所の有吉(弘行)くんからは、『お前は事務所の王子様だな』って言われてました(笑)。

 挫折は毎日のようにあって、今日行ったらもうやめようっていうのはいつも思ってましたね。でも今振り返れば、続けることって大切だなって身に染みて感じます

──芸歴33年ですが、転機になったと思える出来事はありますか?

「出来事というか、僕は人との縁が大きいなと思ってます。この世界に誘ってくださった鶴太郎さんに始まり、ラジオでご一緒させていただいている高田文夫先生、ダチョウ倶楽部さんや浅草キッドさん、爆笑問題さんも当時うちの事務所でしたし、『進め!電波少年』で一緒にMCを務めた松本明子さんもいい出会いでしたねぇ。今思えば、いい出会いはいい芽が出るような気がします」