大企業で経験したうつ病

 やり直す決意はしたが、何から始めればいいかわからない。お好み焼き屋に就職して働いていると、父が訪ねてきた。一緒に食事に行くと、帰りにデカルトの『方法序説』という哲学書を渡された。

「難しくて、もう、全然歯が立たない。それが悔しくて。父に認められたい気持ちもあったんでしょうね。勉強して大学に入ったら読めるようになるかと思ったけど、いまだに読めてません(笑)」

 2年遅れで進学高校に入学。「今度はいい子でいよう」と決め、あまり素の自分を出さずに過ごした。部活は空手部に入部。中学のとき男子とケンカをして、足が震えている自分に気がつき、少しでも強くなりたいと思ったのだ。

 2浪の末、23歳で早稲田大学第二文学部に合格した。大学時代に何か学んだことはと聞くと、三宅さんはひと言。

「夫と出会ったこと!」

 そう言って、大笑いした。少林寺拳法部に入ってすぐ、当時5年生だった夫と意気投合。長く付き合い、36歳のときに結婚した。

夫とは性格が全然違います。私は多動というか、思い立ったらすぐ動かないと気がすまないけど、夫は例えば、コンタクトを買おうか2年くらいうじうじ悩むタイプです(笑)。でもね、もーのすごくやさしいんです。あの夫じゃなかったら、私、結婚なんて一生できなかったと思う(笑)」

 大学卒業後は得意な英語を生かして輸出入代行業の会社で働いた。3年で退職して、ステップアップのために北京、バンクーバーに語学留学。帰国後、33歳のときに一部上場の商社に中途入社し、オフィス向け通販のバイヤーとして働いた。

人生をプロデュースするにはギャップが必要だと早大に入ったけど、まだ足りない。社員証をピッとやると自動ドアが開くような大企業で働いたという経歴が欲しくて。単純だから(笑)」

 だが、入社2年目にうつ病になってしまう。

「母が亡くなって、父が家を売りたいと言い出して。土蔵には古い物がいっぱいで、その片づけもあるし、仕事も忙しかったから抱え込みすぎてパンク。半年休職しました」

 復職後は本部に異動し、積極的に弱音を吐くように心がけた。最初は席に座っているのもやっとだったが、上司や同僚のサポートもあり、再び働けるようになったそうだ。