虐待を受けた少女を引き取る覚悟
「次は人材育成のような、誰かの人生の背中を押せるような仕事がしたい」
そう考え、43歳で10年勤めた会社を辞めた。毎年受ける社内の昇進試験が苦痛で、ストレスで体調まで崩したことで踏ん切りがついた。
退職後に友人から電話をもらう。ひきこもりや出所者の自立支援をする塾を作りたい。実現したら講師をしてほしいという依頼だった。
「私ならできると言われて、“え?”と思ったけど、よく考えたら人材育成の範疇ではある。だったら出所者とか生きづらさを抱えている人に、たくさん会って話を聞いておけば何も怖くないなと」
自立支援団体や受刑者支援の団体でボランティアをしながら、彼らの話を聞いた。
奄美大島の青少年支援センターで17歳の少女と親しくなる。両親に育児放棄され2歳から施設で育った福島美香さんだ。この少女との出会いが、三宅さんの人生を大きく変えていく─。
三宅さんが東京に戻って半年後、美香さんから手紙が届いた。窃盗で捕まり少年院にいるという。そこで美香さんが出院した後は自分の家に引き取ろうと考えた。
だが、美香さんは赤の他人だ。どうして一緒に暮らそうと思ったのか。理由を聞くと三宅さんはじっと考えて、慎重に言葉を選んだ。
「自分でもよくわからないけど……縁だと思います。美香は一見明るくてしゃべるのも好きだけど、最初から、心が、ものすごく泣いているみたいな感じに見えました。本当はすごく寂しいんだけど、寂しいって言わない。本音を言わないところとか、自分に似ている感じもしたんです」
養子縁組を前提に、美香さんを迎え入れた。三宅さん夫婦に子どもはいない。
三宅さんは親子になろうと意気込んでいたが、美香さんは「施設に戻るよりはまし」と思っただけ。そんな美香さんと暮らすのは、一筋縄ではいかなかった。
個室を与えると部屋はぐちゃぐちゃ。三宅さんは「片づけて」とうるさく言ったが、美香さんは掃除ができない。
連絡用にスマホを買って渡すとSNSを通じてすぐ恋人をつくった。3週間後には遠方に住む彼が上京。このまま彼の家に行って一緒に住むと電話してきた美香さんを、三宅さんは怒鳴りつけた。
「何を言っとんじゃー!」
少年院や刑務所を出た後は一定期間、保護観察という指導を受ける。その間は1週間以上の外泊が認められておらず、家出をすれば少年院に再送致もありうる。
「その後も、美香はバイトして小銭が入ると彼に会いに行って、バイトもクビになる。そんな繰り返しだったから、ちゃんと働きなさいと言ったけど、そのたびに反発して」
三宅さんが言うことはもっともなのだが、美香さんは素直に受け入れない。それには壮絶な過去が影を落としていた。父が再婚して一緒に暮らしたときのこと。小学1年だった美香さんは再婚相手にひどく虐待されたそうだ。
「髪を引っ張られたり、ゴルフボールのついた孫の手で頭を叩かれて血を流したり。父にも物を投げつけられたりしていたので、もともと大人が大っ嫌いで。だから、私の心の中にズカズカ入ってこられると、もう無理と思ってシャッターが下りちゃうんですよ。そこまで近くなると、うっとうしいというか、ダメなんですよね。それで、どんどんバトっちゃって」
結局、養子縁組はせず、1年ほどで美香さんは家を出た。だが、美香さんと何度もぶつかったことで、三宅さんにも変化が起きていた。
「彼氏のところに行く美香を見ていて、初めて両親の気持ちがわかりました(笑)。親ならこうすべきだと自分のやり方を押しつけていたことにも気がついて、泣きながら謝りましたよ。
私、もともとキレやすいんですよ。それが美香と暮らしたおかげで、相手は今、こういう気持ちなのかなと想像する癖はついたと思う。今の仕事でも落ち込んだり、腹が立つこともあるけど、まず相手の背景を考えるようになりました」
現在、美香さんは23歳。2人の幼子を育てるシングルマザーだ。
「ちょっとヤバい」
3歳の娘がかんしゃくを起こして自分が耐えられなくなると、三宅さんに電話をかけて話を聞いてもらう。
美香さんは三宅さんのことをママと呼んでいたが、今は子どもたちと一緒に、ばあばと呼んでいる。1、2か月に1度、三宅さんはお米を買って美香さんの住むアパートを訪ねる。それくらいの距離感がちょうどいいと、2人とも口をそろえる。