確かに考えてみれば、子供の頃は髪を洗うとは結構特別なことで、一週間に一度しか洗わないことも普通にあった。

 その後、バブル到来とともに「朝シャン」という言葉が生まれ、それは実に新しくリッチな日本の夜明けの如きライフスタイルに思えて当然私もせっせと実行し始めたわけだが、考えてみれば十年やそこらで人の体が急に汚れやすくなったはずもない。

 全然洗わないのも不潔だろうが、洗えば洗うほど清潔というわけでもなかろう。「洗いすぎの害」というものも当然あるはずだ。

 ついでに言えば、一定の化学物質を下水に流し続けることの環境負荷も無視できない。他の生物を犠牲にして自分だけがキレイになるなど、そもそもその心根がちっともキレイではなかったと、今更ながらに反省するところである。

 ボディーソープに関しては、今となってはなぜあれほど熱心に使っていたのか不思議でしかない。何しろ顔と違い、体は日中何かを塗りたくるわけでもないので、ゴシゴシ洗えばその分、ひたすら乾いて当然だ。

 ゆえに秋冬になると肘や膝やかかとがガサガサになり、足のすねもヒビ割れて痒くなるのが長年の悩みのタネで、風呂上りには素早く全身にクリームを塗る作業が欠かせなかった。

 ところがソープをやめて湯で洗うようになってから、冬だろうがなんだろうが、何も塗らずともスネもカカトも何の問題もなくしっとりしているではないか!

 いやもうまったく、私はいったい何をしていたのだろう。もしかすると、前回書いたゴマ油マッサージの効力かもしれない。何れにしても、私はすべてをやめることですべてを手にしてしまったのである。

歯磨き粉もやめてみたら

 まだまだ「やめた」シリーズは続く。

 キラキラとは直接関係ないが、身だしなみ関連として、私は歯磨き粉をやめたことをご報告しておく。

 歯磨きは、歯ブラシでこするのみ。例の小さすぎる洗面台収納に悩んでいた頃、知人から「歯磨き粉は使わなくても歯磨き効果に影響なし」「むしろ、歯磨き粉を使うとそれだけで歯磨きをした気になってちゃんと磨かなくなる」と聞いたのがきっかけである。

 ナヌー、そ、そうだったの?!

 もちろん、すぐにやめた。