「もうお母さんと一緒に死のう」高校中退を宣告された後、母親にそう言われた。「普通がいちばん」が口癖だった母親を裏切り、“底辺”に転落した日──。ひきこもり生活の末、ようやく人生の軌道修正を志した矢先、今度は多額のお金を騙し取られ、卵巣嚢腫で手術入院……。沈んだ気持ちを救ってくれたのがテレビで活躍する芸人の姿だった。「母親の理想」ではなく、「自分の理想」にこだわった少女の人生挽回劇。

「芸人とかけまして ちんこと解きます。その心は、どちらも噛むと怒られるでしょう」

「上司とかけまして ちんこと解きます。その心は、どちらもうまくたててあげたいでしょう」

 東京・渋谷の若者が集まるライブハウス。セーラー服を着た女性が、客席からお題をもらうと「芽吹きました」と言って、即興で謎かけを行う。その頭の回転の速さ、下ネタなのに妙に爽やかな語り口に、観客席からはどよめきと拍手が起きる。コロナ禍で声を出せないが、その分、抑えきれない笑いが場内に広がっていた。

病弱だが勉強もスポーツもできる子だった

 彼女は「ちんこ謎かけ」で有名になった女性芸人・紺野ぶるまさん(34)。気負うでもなく媚びるでもなく、淡々と謎かけ芸を披露する。すべてを「ちんこ」で解くという謎かけをする、唯一無二の芸人だ。

 この日は彼女の2冊目の著書『中退女子の生き方』(廣済堂出版)の出版記念トークショーだった。彼女はステージ上で、「ブスとかバカとか言われるのは気にならないけど、頭が悪いと言われるとへこむんですよね、今でも」と笑いにまぶしながらつぶやいた。それは彼女の本音なのかもしれない。 

『中退女子の生き方』の出版イベントで先輩芸人「セバスチャン」の原田さん(右)と
『中退女子の生き方』の出版イベントで先輩芸人「セバスチャン」の原田さん(右)と

 高校中退時、「腐ったみかん」と校長に言われた彼女は、今、芸人としてまっしぐらに自分の道を切り開いているところだ。

「もうお母さんと一緒に死のう」

 高校を中退することになった日の夜、紺野は母にそう言われたという。共働きの両親、4歳年上の兄がいるごく普通の家庭で育った。小学生のときはバレエ、水泳、英会話、ピアノ、書道、学習塾とたくさんの習い事をしていた。

「うちはやりたいと言えば何でもやらせてくれたんです。お金持ちの家で、私はお嬢様で、しかもこの世でいちばんかわいい。そう思ってました。だけど今思えば、うち、団地だったし、実は普通に貧乏だった(笑)」

4歳、自宅にて。「小さいころはお嬢様だと思っていたけど、写真を見るとボロい団地ですよね(笑)」と紺野
4歳、自宅にて。「小さいころはお嬢様だと思っていたけど、写真を見るとボロい団地ですよね(笑)」と紺野

 彼女は先天的な病気が2つあった。ひとつは卵巣に腫瘍ができる病気で、今までに2回手術をして卵巣を削っている。もうひとつは心臓に穴があいている心房中隔欠損症という生まれながらの病気で、5歳のときに大手術をしたという。

 紺野の兄(38)は、そのころの妹について、こう話す。

「心臓の手術をしたのが夏休みだったので、母に連れられて毎日のように見舞いに行きました。当時、妹と同じ病気でヒロインが死んでしまうドラマがあったんですよ。だから、妹もいつか死んじゃうのかなと漠然と不安を覚えましたね」

 手術を経て少しずつ丈夫になっていき、小学生時代は勉強もスポーツもできる子に成長した。

レレレのおじさんの洋服でポーズ
レレレのおじさんの洋服でポーズ

「病弱だったから、親は妹には甘かったですね。うちはたいして金持ちじゃないのに習い事ばかりして、空気読めないヤツだなと思っていました。僕と妹はいつも正反対の人生を歩んでいた。僕は当時、太っていて勉強もスポーツもできない。妹はどっちもできる。4歳差だから小学生のときは在籍期間がかぶっていた。あるとき妹がマラソン大会で1位になったんですが、僕は全然ダメで。『名字は同じだけど、あれは兄じゃない』と妹が言っていると噂で聞きました(笑)。冷たいヤツです」

 紺野の兄は小さいころからお笑いが大好きというだけあって、語り口が軽妙だ。紺野はこの兄の影響を受けてお笑いに目覚めた。

 中学時代、彼女はバドミントン部で活躍した。校内でいちばん厳しいといわれていた部活のひとつだったが、根性で3年間、やり抜いた。都大会に出場し、ベスト8になったこともある。

「部活が終わって帰ると、気絶して寝るような日々でしたね。そのころはもう勉強は苦手になっていて、塾にも通いましたが、ちっとも成績が上がらない。だけど英語で挽回して、なんとか推薦をもぎとり、私立の女子校に入学したんです」

 そこから彼女の人生が一変する。