「ブルマをはいた芸人」に魅せられて

 紺野はモデル事務所に騙され、高額な授業料を払った後、再度、卵巣嚢腫となって入院、手術をした。

 退院後、沈んだ気持ちでテレビを眺めているときに見たのが、お笑い芸人のくまだまさしさんと鈴木Q太郎さんだった。ふたりは『ブルマパーティ』と名づけたネタを披露していた。1枚のブルマをふたりで片足ずつ、無理やりはくのだが、ふたりともピロピロ鳴る吹き戻しの笛を咥えている。息づかいが荒くなるほど、笛は鳴りっぱなしになり、リボンのような吹き戻しが出たり入ったりするのだ。紺野は「息をすることも忘れて笑い続けた」という。

「お金がなくて食べられなくても、ここにまじってブルマをはいて芸人として生きていくほうが幸せなんじゃないか、私にとって“生きる”とは、そういうことなのではないかと本気で思いました。それまで“芸人”という選択肢に気づかなかったんですが、これだ、こういう大人になりたいんだ、という直感がありました」

モデルや女優を夢見た当時。「騙されて初めて、あ、私は背が高いだけなんだって気づきましたね」
【写真】金髪・ガングロ・露出度高め、ギャル時代の紺野ぶるま

 早速、「お笑い 養成所」で検索をかけ、松竹芸能の養成所に入った。そのときはまだ、「勇気がなくて」芸人コースを選ぶことができず、タレントコースを選択した。

「最初に、人前に出るのはどういうことなのか、人の悪口を言ってはいけない、遅刻しちゃいけない、芸事のために身を粉にして頑張るというようなことを学びました。同年代の女の子もいたし、レッスンは楽しくてたまらなかった。毎週日曜日に演技やタップダンス、日舞などを習うんですが、芸人コースはその時間にネタ見せをしているんですね。それを見に行っているうちに、やっぱり芸人になりたい、と」

 遅刻せずにアルバイトに行けるようになったのは、養成所に入ってからだ。自分が人前で何かを表現できるチャンスがあることで、目の前が開けていった。紺野は21歳になっていた。

 小学生からの幼なじみである城間千尋さん(34)は、紺野の養成所時代に「ブルマニアン」というコンビを組んだことがある。

「彼女から誘われたんです。当時、私は短大を出たものの仕事をしていなくて、『就職先が決まるまでならいいよ』と受けてしまって(笑)。ふたりでブルマをはいてネタ見せしたこともあります。ブルマを脱いだら、またブルマはいてる、みたいな。でもすぐに私の就職が決まって1か月ももたずに解散することに。ごめんねと言ったら、いいよってあっさり。ただ、彼女がネタを考えている様子を見て、本気でお笑いをやりたいんだとよくわかりました。地元でつるんで遊んでいたときとはまったく違う真剣さがあった

成人式にて。芸人という夢を持ったことで更生していく

 養成所入所から1年半後、彼女は松竹芸能所属の芸人となった。だが、芸人になっただけで、なかなか「売れる」ことはかなわなかった。

 10年来の付き合いで、紺野の4年ほど先輩にあたるお笑いコンビ「セバスチャン」の原田公志さん(35)は、ブルマニアンを見ていた。

「ブルマの下にブルマというのがマジで受けていなかったので、大丈夫か、と思ったのが最初の印象ですね(笑)。ぶるまは女性タレントコースにいて、数か月してからお笑いに移ってきたので、僕は心の中で、なんだよ今さらみたいな気持ちがあった。だけど彼女がピン芸人になってから妙にシュールなネタをやっているのを見て、だんだん親しくなっていったんです。

 飲みに行くと、『仲間内で誰か売れてくれないかなあ』と愚痴ったり、芸とはなんぞやみたいなまじめな話をしたり。僕も高校を中退しているので、ふたりの間では『バカと言われるのはOKだけど、頭悪いねはへこむね』というのが共通認識なんです(笑)。“バカ”にはまだ愛があるから」