校長におでんの汁で黒魔術

「私、そのころ“ギャル”に憧れていたんです。ギャル全盛期で、雑誌を見ては私もこうなると決めていた。ガングロ、金髪、濃いメイク、友達と渋谷に行ってファッションを語ったりしたい、と」

 ところが入学した高校は、思いのほか地味だった。こんなはずじゃないというショックが彼女を襲う。

「今思えば笑い話なんですが、当時は本当にすべてが嫌だった。もちろん私は目標どおりギャル道を突っ走っていたんですが、学校の雰囲気はそれとはかけ離れていて。夏休みになる前に遅刻、居眠りは当たり前。いつも5分、遅れるんですよねえ。年間100回くらい(笑)。制服はぎりぎりまでスカートを短くしていました。真っ黒に焼いてガングロにして、かつらかぶって学校行ったり、テストは解答を書かずに提出したり……。この学校にいることを否定したい、目立ちたい、自分のポテンシャルはもっと高いと見せつけたい。いろんな感情があったような気がしますね」

 同じような思いを抱えていた地元の友人たちと毎日のように渋谷に繰り出した。

「マルキュー(渋谷109)が閉店するまでいて、深夜は地元のコンビニ前で仲間とたむろして……。ただ、何をしても満たされてはいなかった。逆に何をすればいいのかもわからなかった。健全だったら勉強やスポーツで頑張るべきなのに、ここで頑張っても意味がない、と無気力になっていました」

 両親は怒っていたような気もするし、あきらめていたような気もすると彼女は言う。学校への反発と同時に、思春期ならではの親の生き方への反抗心もあったようだ。

「母は『普通がいちばん』という人なんですよ。学校の成績も“3”でいい、と。私は特別になりたかったので、退屈なこと言ってるなと思っていました。当時の私から見ると、両親は普通の人だけどしんどそうにしか見えなかった。父は当時測量の仕事をしていて作業着を着て日々働いている。母も駅まで自転車で爆走して仕事に行く。ふたりが楽しそうには見えなかったし、それは私のせいかなとも思っていました。父は明るいけど、母は常に怒っている。だから、母の『普通がいちばん』って意味がないと思ってた」

 学校からは、校則違反で2回ほどイエローカードを出され、「これ以上、何かやらかせば学校には置いておけない」と最後通告を受けていた。

 ところがある日、またも遅刻。どうせ遅刻するならと学校近くのコンビニでおでんを買い、食べながら登校した。

「その日、門のところに校長がいて……。『おまえまた遅刻か、このあんぽんたん』と言われたので、それは言いすぎだろう、と。校長先生の立っている周りをおでんの汁で囲って、『おまえ、そこから出るなよ、黒魔術で呪いかけたからな』と(笑)。翌日、親が学校に呼ばれました」

ギャルに憧れていた17歳のころ

 校長は「お子さんは腐ったみかんです。こういう生徒がいると周りにも悪影響を及ぼします」と告げた。退学を宣告されたのだ。母は号泣した。

「人前で泣かない母が、『絶対に更生させます、お願いします、お願いします』と頭を下げて。それがつらかった。私は隣で、お母さん、やめてよやめてよと思いながら、一方で、あー、やっちまったとも感じていた。子どものおふざけだから許してくれると予想していたんです。高校生の甘えですね。逆に、そうか、切ることができるのは向こう(学校側)なんだ、権力を見せつけられたなとも思ったり」

 高校2年の冬の日だった。校長室に入る前はガムを噛んでいた彼女が、部屋を出るときは泣いていた。