父親に「玉緒が男やったらなあ」と

 歌舞伎俳優・二代目中村鴈治郎を父に持ち、母は京都先斗町の元舞妓、実兄は昨年亡くなった四代目坂田藤十郎……中村玉緒は幼いころから日本の伝統ある“芸”を肌で感じながら育った。父はよく「玉緒が男やったらなあ」とぼやいていたという。

「父は私に役者の才能を感じていましたが、女なので歌舞伎役者にはなれません。子どものころの私は母のような舞妓さんになるのが夢でしたね」

 その後彼女は映画の世界に魅了され、女優を志すことに。そして1953年、映画『景子と雪江』で銀幕デビューを果たす。

 以降も数々の映画に出演し、着実に女優のキャリアを築いていった中村玉緒。そして生涯の伴侶となる俳優、勝新太郎との出会いによって、人生は加速する。

「主人との初共演は『源太郎船』でしたが、婚約をしたのは1961年の『悪名』の公開後でした。初めて会ったときは結婚するなんてまったく思いもしませんでしたね」

 勝さんといえば、まるで本人が演じている役柄のように私生活でも大胆なイメージがあるが、中村へのアプローチは意外な方法だった。

「当時、主人が自宅で開いたパーティーに私も招かれたんです。すると主人のマネージャーに呼び出されて『勝さんのこと好きですか? 嫌いですか?』と聞かれて『好きか嫌いかで言うと、好きです』と答えたんです。1週間後、そのマネージャーから『勝さんが結婚を前提にお付き合いしたいと言っています』と言われました」

 恋愛にはシャイな一面もあったようだ。それから1年後、中村が22歳のときに結婚。2児をもうけた。

「主人の兄の若山富三郎さんにも、実の妹のようにかわいがっていただきました。若山さんはとても女性に好かれましたから、主人がうらやましがって『お兄ちゃんはいいなあ。右手に女、左手に女、右足に女、左足に女。僕は玉緒しかいないんだよ』なんて言うんです。ひどいでしょう?(笑)」

 ジョークのなかにも“たったひとりの妻”へ思いがうかがえる。

勝新太郎の意外な繊細さとは……

 中村は「主人は演技に対して神経質なところがあった」と思い出を語る。

 当時、勝さんと共演していたある女優の楽屋へ挨拶に行ったときのこと。

「その夜、主人に『玉緒、今日は来ないほうがよかったよ』と言われたんです。理由を聞くと、その日はラブシーンの撮影があったようで、私が挨拶に行ったせいで彼女が積極的に演じられなくなってしまったみたい。主人には、相手の気持ちの変化を察する繊細さがありましたね」

 名優・高倉健さんと勝さんが、映画『無宿』で共演した際にはこんなエピソードも。

「主人はお酒を飲むけど、健さんはお酒を飲まれなかったでしょ。撮影中は健さんが好きなコーヒーばかりで『毎日コーヒーを何十杯も飲んで大変だったよ』と言っていました。主人をしても、健さんには『一杯飲みに行こう』と言えなかったようです」