一方で、人生を左右する悲劇が襲う。彼が22歳の頃に、最愛の実母を交通事故で亡くしてしまったのだ。その後しばらくは、舞台でスポットライトを浴びて「マッチで〜っす!」とおどける一方で、「人知れず泣いていた」とは老舗芸能プロ幹部。

「小さい頃からお母さんっ子で、“好きなことをなさい。でも、人様には迷惑をかけないようにね”と教えられていたマッチ。きびしくもやさしかったお母さんを思いつつ、夜は自宅で毎日のようにお酒を飲んでは泣いていた。そんな震える姿をそばで見ていたからこそ、メリーさんは母親がわりとして“息子を守らなければ”、と必死になっていたのでしょう。まあ、周囲から見たら甘やかしすぎていた、とも言えなくはないですが」

 1994年に田原俊彦が退社すると、名実ともに“ジャニーズの長男”になったマッチ。メリー氏からの一層の寵愛を受けるとともに、一方で並行していたレース業に本格的にのめり込んでいく。実のところは、母親に管理された世界から逃れたかったのかもしれない。

「マッチならしょうがない」と許せる

 実際の彼はというと、いわゆる“長男”タイプではなかったとも。テレビ局プロデューサーがその素顔を明かす。

『KONDORacing』公式HP上で、“復帰”コンサートの詳細が伝えられた
『KONDORacing』公式HP上で、“復帰”コンサートの詳細が伝えられた
【写真】美人妻と長男と、良き夫で父親だった頃の近藤真彦

奔放でやんちゃ、お調子者の次男坊タイプで、マッチも実際に“本当の長男はヒガシ(東山紀之)だよ。アイツには頭が上がらない”とこぼしていましたね。おそらくは本人も“長男”と呼ばれることが重荷になっていて、それでもメリーさんの手前、それらしく振舞うしかなかったんじゃないかな。

 でも、人懐っこくて人たらし、人見知りもせずに誰とでも打ち解けられる性格は天性のもの。ちょっと横柄で図々しいところもあるけども、“マッチならしょうがないか”と許せてしまう憎めない少年っぽさがある(苦笑)」

 そんな性格はレースチーム設立にも生かされた。そして不倫スキャンダル後も、彼からスポンサーが離れることはなかったという。長年のパートナー関係にある『日産』は、傘下の『日産自動車大学校』の生徒をマッチのチームに参加させるプロジェクトを推し進めるなど、むしろ関係は良好のようだ。

「マッチのレース愛は本物です。もちろんお叱りは受けたでしょうが、彼らは“ジャニーズのマッチ”ではなく、“近藤真彦”に惚れ込んでいるわけで信頼関係が損なわれたわけではない。奥様も今回のことは許しているみたいですしね。

 実際、彼と関わったらわかるんですが、惹きつける不思議な“人間力”をもっていて、まるで“子犬”のように守らないといけない気持ちになる。だからこそマスコミも見捨てる気にはなれないんですよ」(前出・テレビ局プロデューサー)

 かつてマッチが23歳の頃、『週刊女性』のインタビューで「将来の夢」を聞かれて、このように答えていた。

《予想もつかない男になっていたい。どういう男かというと、子供っぽい大人》

 “ジャニーズの長男”から解放され、1人の男としてリスタートしたマッチ。その夢は叶っているのだろうか。