殺意はどこから来るのか

 筆者は、久美から相談を受け雅史と直接会って話をする機会を得た。雅史は一見、穏やかで、礼儀正しい青年だった。家庭以外でトラブルを起こした過去はないという。しかし、

「誰でもいいから殺して、死刑になりたいと思うことがある」

 話の核心に入ると、突然険しい目つきになり、はっきりと殺意を口にした。“死刑”という発想はどこから来るのか。

 雅史が言うには、母親の再婚相手である義理の父が、夕食の時、犯罪報道を見るたび、

「こういう奴らは即刻、死刑にしろ!」

 と言っていた言葉が焼き付いているからだという。

 義理の父親はエリートで一流企業に勤めていた。父親は雅史に、地元で最も偏差値の高い高校に入学するようにプレッシャーをかけた。なんとか合格はしたものの、入学後は授業についていけず、劣等感から友達を作ることもできなくなり不登校気味になっていった。義理の父親に劣等感を抱くと同時に、実父を亡くした喪失感にも苦しんでいたのだ。

 雅史から見ると妹は要領がよく、新しい父親ともすぐに仲よくなっていた。雅史は、母や妹に裏切られた気がして不信感を募らせ、家族に攻撃的になっていたことがわかった。

 雅史と対話を重ねるうちに、不満は述べても「自殺」や「殺人」といった物騒な言葉を口にすることはなくなっていった。
 
 転機が訪れたのは、二浪の末、第一志望の大学から合格通知が届いてからである。その後は、順調な大学生活を送っており、人が変わったように明るくなり家族に暴言を吐くこともなくなった。

 それでもまだ、久美の親としての不安は払拭されてはいない。

「就職が上手くいけばいいのですが、また挫折するようなことがあったらと思うと……。事件が起こる度、被害者か加害者か、明日は我が身と考えてしまいます」

子どもに「人を殺したい」と言われたら

 真知子(仮名・50代)もまた、かつて「人を殺したい」と訴える息子(10代)に悩まされていた。息子は学校の成績もよく友達も多かったことから、まさか現実になるとは考えられなかった。ところが事件は起きてしまう。

 息子がひとり暮らしを始めて間もなくのころ、自宅に訪ねてきた知人を刺して死亡させてしまったのだ。犯行動機について、息子は「人を刺してみたかった」と供述し、猟奇的な事件として報道された。

「たとえ問題を起こしたとしても、まさか人を殺すなんて考えませんでした。あの時、もっとちゃんと子どもと向き合っていればと後悔しています」

 安全かつ確実な方法で死に至る死刑制度を求める殺人事件はこれまでにも起きており、殺人にまで発展しなかった事件においても、犯行動機として「死刑願望」が語られていたケースはいくつも存在している。

 このような現状に鑑みれば、死刑制度が犯罪の抑止として機能しているのか、非常に疑問である。

 では、もし自分の子どもが「人を殺したい」「死刑になりたい」などと口にしたらどのようにしたらいいのか。

 「人を殺したい」といった言葉は出口の見えない絶望感、底知れぬ孤独、制御不能となった異常性を示すSOSとなる。その欲求がどこから生じるのか、真摯に向き合ってくれる人がいることは犯行の抑止になり得ると言える。

 久美のように、家庭に問題を抱えながらも息子を支えるだけの経済力が残っているケースはそう多くはない。金銭的にも余裕がなく、誰にも相談できず、あらゆる繋がりが絶たれて孤独になってしまった人々。彼らの受け皿が、社会には必要である。

阿部恭子(あべ・きょうこ)
 NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)、『家族間殺人』(幻冬舎新書、2021)など。