40業種で失敗、負債約2億円に

 そんな激動期の真っただ中に、堀之内さんは結婚している。21歳のときだ。相手は、小学校からの同級生。家も建てた。ただ、お金がなかったので先輩の大工に頼み、自分も手伝いながら完成させた。普通は、結婚すれば少しは落ち着くものだが、堀之内さんの場合はそうはいかない。

 ボイラーマンとして就職した地元のラドン温泉で知り合ったAさんと恋仲になり、2人で鹿屋に食堂を開いた。「妻も知っていた」と言う。

 店の売り上げは、いいときで月に約120万円と繁盛していたが、懲りずにラジコンを続けていた。おまけにアマチュア無線にも凝るようになる。

 Aさんは言う。

「当時彼は30代でしたけど、子どもの部分をずっと残していたような気がします。そういうところに私は惹かれていたかもしれないですね。でもひとたび仕事になると、トラブルが起きてもいつも冷静で肝がすわっている感じで、そのギャップも魅力でした」

 しかしAさんは、突然店を辞めて姿を消す。「私も若かったので」と言葉を濁すが、急なことで堀之内さんは呆然。食堂は閉めることにした。

 堀之内さんはそれ以外にもさまざまな仕事にチャレンジするが、失敗を繰り返した。

 機械修理、自動車修理、住宅修理、中古車販売、学習用品販売、自動車セールス、化学薬品販売、婦人服製造販売、メリヤス製造、ミシン修理、運転代行、ダンプ・トラック・ブルドーザー運転、生コンクリート運搬、自動車教習所、能力開発教育、古紙回収業、海の家、風呂洗浄……。

「ガスコンロは分解して部品の不具合も細かくチェックするんだよ」 撮影/齋藤周造
「ガスコンロは分解して部品の不具合も細かくチェックするんだよ」 撮影/齋藤周造
【写真】テレビ番組で各政党の官房長官と議論する堀之内さん

 大きな負債を抱えたきっかけは健康食品販売だった。好調に契約は取れていたのだが、客がローンを組むとき、ほかに保証人がいない場合、堀之内さんが連帯保証人になっていた。契約者が払えず、返済が滞るケースが相次ぎ、堀之内さんが支払わねばならなくなったのだ。負債は一時2億円近い額に膨らんだ。

「返済するためにありとあらゆるサラ金から借りたので、負債は雪だるま式に増えていきました。事業は終了。バイトをしていたら、そこにも取り立て屋が来て、怒鳴るのでクビになりました」

 稼ぐこともままならず、借金も返せない。未来が描けず、死ぬしかないと思いつめた堀之内さんは、JR鹿児島本線の線路に身体を横たえる。だが怖くて途中でやめた。

「鹿屋を出よう。ここでやっていてもラチがあかない」

 堀之内さんは鹿屋を出る前に、妻に離婚届を書いて渡した。「自分で判を押して役場に出してほしい」と言い残して。妻は何も言わなかったというが、当時中学1年生だった息子の健吾さん(50)によれば、

「父は出稼ぎに行ってくるという感じだったけど、母親は、『お父さん、たぶん戻ってこんよ』と言っていた」という。

 '85年、都会で勝負したい─そう思い、車で東を目指した。傍らのシートには女性が座っていた。健康食品会社で一緒に働いていた女性だった。のちに2人は夫婦となるのだが、それは先の話だ。

 車を走らせながら、堀之内さんは何を考えただろう。

「当時を振り返って思うのは、良くも悪くも自分はビジネスの才能があると思っていたことでしょうね。少しでも“反省”というものをしていれば、まだ事業は続いたと思うんだけど、若かったんですね」