被災地支援で出会った子どもたち

 加藤さんの支援活動は、更生だけにとどまらず、震災被災地にも波及していく。東日本大震災では、震災2日後に現地入りし、炊き出し10万食以上、物資100トン以上の支援を行った。

「千葉の学校の講演会へ向かう途中、首都高の上で地震にあって、そのまま首都高で降りられなくなった人たちの手助けをしました。ニュースで仙台空港が流されている映像を見て、これは早く東北へ行かなきゃと、すぐに水を積んで向かったんですね」

 当初、現地は本格的に自衛隊が入る前で、壮絶な光景が広がっていた。あちらこちらに横たわる遺体の収容から始めたという。

 加藤さんのツイッター投稿に感化され、雑誌対談で面識のあったタレントの麻木久仁子が現地入りするなど、支援の連鎖も生んだ。

自分の家を探しながら、食べ物を集める子どもと出会い、支援に本腰を入れようと決意した
自分の家を探しながら、食べ物を集める子どもと出会い、支援に本腰を入れようと決意した
【写真】暴走族時代の加藤秀視さん

 本腰を入れて支援しようと思ったきっかけは、ごみ袋を持って、食べられる物を拾い集めていた2人の子どもを保護したことだと話す。

「子どもたちは家が流されてしまって、どこだかわからないので探していると言いました。そのとき、自分が養護施設を抜け出して、家に帰ったときのことを思い出したんですよ。

 
結局、中に入れずに、親父とおふくろと弟が話しているのを外から聞いてただけだったんですけど。大人になってから、どうして親父にあんなに殴られたのに、家に戻ったりしたんだろうって考えたんですが、やっぱり家に帰りたかったんだろうなと気づいて。その子どもたちも自分の家に帰りたいんだろうと思ったら、もう絶対見過ごすわけにいかないと思って、南三陸に入って活動することにしました」

 それから数か月後、『はまなす学習塾』を開き、学校を失った小中高生に学びの場を提供した。新明建設も東北に拠点を移し、被災者50人以上を採用し、5年間、土木工事や建設工事を行った。

 震災の日から行動を共にした前出のレオナさんが言う。

「地震があったとき、一緒に車に乗っていたんで、これから行くぞって有無も言わさず連れていかれる感じでした(笑)、でも、人を助ける側に回れたらいいなと思っていたので、迷うことなくついていきました」

現地の人と連携を取りながら状況を把握。避難所の人々にも積極的に声をかけて物資の配給や炊き出しを朝から晩まで続けた
現地の人と連携を取りながら状況を把握。避難所の人々にも積極的に声をかけて物資の配給や炊き出しを朝から晩まで続けた

 宮城県南三陸町に空き家を借りて、大人数で住み込みをしながら、支援活動を始めた。被災現場を目の前にして仕事をする中で、人々のつらさが身に沁みたという。

「被災者の方が、家とか形あるものは何もなくなっちゃったけど、生きているだけで幸せ、みたいなことを話していて、メンタルの強さを見習わなきゃいけないなと思いましたね」

 瓦礫を撤去していると、お年寄りに感謝され、“私たちもまだ頑張るから、君たちもまだ若くてこれからの人だから、頑張ってね”と言われたことが忘れられないと話す。

「加藤さんが非行少年たちをそうした現場に連れていって、いろんな人と関わらせたことにどんな意味があったのか、今となってはよくわかる気がします。そんな機会を与えてもらえたことに感謝しています」

 被災地は極限状態に置かれた人々の間でさまざまなトラブルが生じることもあった。時として、加藤さんはその調整役も担ったと話す。

最初に避難所の学校に入った人が先住民で、たまたま入れなかった人が部外者という扱いになってしまっていました。もうこれ以上入れないからと誰かが仕切って閉めてしまって、学校に入れないで潰れた家で寝ている人たちもいました。

 物資を渡しても、いっぺんにたくさん持っていっちゃう人もいて。そうならないように、僕らがちゃんとたくさん物資を持って来週も来ますからと約束をして、安心してもらうようにしたんです」

現地の人と連携を取りながら状況を把握。避難所の人々にも積極的に声をかけて物資の配給や炊き出しを朝から晩まで続けた
現地の人と連携を取りながら状況を把握。避難所の人々にも積極的に声をかけて物資の配給や炊き出しを朝から晩まで続けた

 被災者たちに乱暴に物資を放り投げるボランティアもいて、叱りつけたこともあった。

「ふざけんじゃねーぞ、この野郎と。優越感に浸ってちゃダメだよと。だんだんと大事にしなきゃいけないものが何なのかもわかってきて、東北の方たちともつながって、チームができあがっていきました」

 現場の声を吸い上げて、1000件以上のボランティアマッチングも行った。そうした活動が高く評価され、'12年5月に内閣府や国土交通省などが後援する社会貢献支援財団より、社会貢献者表彰を受賞している。

 '16年4月の熊本地震の際は、発生したその日に、34台の空っぽのトラックで現地へ向かった。

「今度は行く先々で物資を積み込んで、熊本に着くころにトラックがパンパンになるようにしました。自分たちで準備していると遅くなってしまうんで、3・11で学んだことを活かしたんですね。Facebookで呼びかけて、調達しながら行きました」

 熊本へ行くまでにたくさんの飲食物や生活用品が集まったという。