憎んでいた父親からの謝罪

 裏社会と訣別したころ、没交渉だった父親と再会した。父が働いていた料理店のオーナーから、父の容体が悪いと知らせを受けたのだ。その人は母をはじめ親戚筋に引き取ってもらえないかと頼んだようだが、すべて断られていた。

「父に会うまでは殺したいほどの憎しみが強かったんです。せっかく裏社会をやめたのに、今、親父を殺したらとんでもないことになるからと、一応自分が暴れたら止めてもらうように、信頼のおける社員2人についていってもらいました」

 ひとり暮らしをしているという木造のアパートを訪ねると、病気でやせ細った父がパイプ椅子に座っていた。

「まずその姿を見て衝撃を受けて、“親父何やってんだよ”って言ったら、親父は“ごめんな”と言ったんです」

 その言葉を聞いたとき、それまで持っていた怒りや憎しみが消え、「一緒に帰ろう」という言葉が出たという。

「あー俺はこのひと言が欲しかったんだって、そのときわかったんです。ずっとおふくろを痛めつけて、俺たちを苦しめて、何でこんなことするのかなってわからなかったんですけど、そのときに、この人、自分が悪いっていう認識があったんだなって知ったんです。俺も甘いですよね、そのひと言で許しちゃったんですから」

あれほど恨んだ父親のことを語るとき、涙をにじませた 撮影/伊藤和幸
あれほど恨んだ父親のことを語るとき、涙をにじませた 撮影/伊藤和幸
【写真】暴走族時代の加藤秀視さん

 父のことはその後3年間介護して見送った。母も最後のころは見舞ってくれたという。父の身体を拭いてあげたとき、足の形まで似ていて、自分の身体を拭いているような気持ちになった。一緒に暮らした思い出は少ないが、やっぱり親子なのだと実感したという。

「僕も子どもが2人いるんですけど、離婚してるんですよ。奥さんを幸せにできなかったという点では、親父と一緒だなと思っています。大学生になった子どもたちとは交流があって、仲いいですよ。まじめで素直に育ってて、それは元妻に感謝しています」

 幼いころ、両親の愛情を感じることができなかった加藤さんだが、深い愛情を周囲に注ぐことができるのはなぜか。

「親から得られなかった分、やっぱり仲間の存在があったことが大きいですね。小さいころから一緒に寂しさや苦しさを紛らわす仲間がいたからこそ、やってこられたのかなと。中でも新明建設の仲間たちが自分を信頼してついてきてくれたことが大きいです。多くの人から愛をもらってきたことが、今、すべての活動の動機になっています」

 いじめに関する署名運動も、自分がやりたいと思ったことで、誰かに頼まれたことではない。人を救いたいと思うこと、形にしたいと思うことが大事なのだという。

 深く結びついた仲間たちと活動する中で、それまで目を背けてきた親との関係にも向き合えるようになった。

「おふくろは僕を養護施設に入れたことで、僕を捨てたと思っているみたいで、すまないという気持ちが拭いきれないようです。僕はおふくろにそんなこと気にしなくていいって思っていますし、この人が僕のことを産んで本当によかったって思ってもらえるように、まぁ頑張ろうという気持ちがあります」